「送り迎え」後談 №630

 「送り迎え」後談

 令和3年5月8日

  私事で恐縮でしたが、先日のたよりで孫娘の幼稚園の送り迎えが終わりになってしまうことに淋しさを感じているというカミさんの話を申し上げました。カミさんにしてみれば上の子から6年間続いた楽しい送り迎えが終わりになることに言い難い淋しさがあったのでしょう。その思いには私も共感するものがありました。

 とこの度、私が仕事時代お世話になったI先生の奥様からカミさんの淋しさに寄り添う有難いお手紙を頂きました。そこには「奥様、長い間二人のお孫さんの送り迎えが終わり淋しくなりますね。でもこれからが本番、違った形で楽しいことを経験させてもらえますよ」と書いて下さってありました。

 私はその奥様の言葉に思わず「目から鱗が落ちる」思いがしました。カミさんも同じ思いであったのでしょう。早速カミさんと娘から「奥様がおっしゃるように温かな気持ちになることを沢山経験させて貰えるかと思うと楽しみです」「すてきなお言葉に心躍りました」とメールがありました。よほど嬉しかったのでしょう。

 お聞きしたら手紙を下さった奥様もお孫さん二人の送り迎えを学童までされたのだそうです。のみならず学校行事にはできるだけ参加し若いお母さん方と交流することが楽しかったとのこと。お手紙に書いて下さった言葉はご自身の経験があってのことだということが分かりました。「目から鱗」は体験に基づくものでありました。

 今回の奥様の言葉はカミさんにとって何よりの励ましになりました。これからなんだ、という教えを頂くことになりました。これが愛語。これこそが愛語だと思います。ふさぎ込みそうになっている人の心を励まし勇気づけるのが魔法の言葉、愛語に他ならないと思います。奥様からその魔法の言葉、愛語を頂いたと思います。

 先達ても申し上げましたが、道元禅師は私たち衆生を利益(りやく)すること4つの一つに「愛語」を言われました。「(むか)いて愛語を聞くは(おもて)を喜ばしめ心を楽しくす、(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず」と言われました。人を楽しくさせ勇気づけ励ます力を持っているのが愛語だとおっしゃるのです。奥様のお手紙に感謝です。

 

愛語能く廻天の力あることを

  学すべきなり  

                                             <道元禅師>

 


 

 

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