薫習 №34

平成22年1月17日 

薫 習 


 正月元日、テレビで「奇跡のピアニスト辻井伸行・飛翔への旋律」という番組がありました。目の不自由な若きピアニスト辻井伸行さんのこれまでの活動を振り返りながら辻井さんを応援してこられた内外の音楽家の期待と評価に類まれなピアニストの信じがたい音楽的才能が浮き彫りになって感動を覚えずにはいられませんでした。

 番組ではまず辻井さんの驚くべき耳、すなわち聴音力の良さと記憶力の素晴らしさが紹介されていましたが、目が全く見えず楽譜を見ることのできない辻井さんにとっては耳で聴いて記憶する以外曲を自分のものにする手段はないのですから、もともと聴音力や記憶力が優れていたことは当然なのでありましょう。

 しかし、これに関連して辻井さんの音楽的記憶力は「筋肉の記憶に依存している」という言葉を聞いた時、ふと思い当ることがありました。それはお経の記憶と同じではないかと思ったのです。皆さんの中にもおいでと思いますが経本を見なくてもお経を唱えられるのは頭が覚えているというより口が覚えているという気がするのです。というのも、お経を読んでいるとき、頭より先に口が唱えていることがよくあるのです。それはどう考えても頭の記憶ではなくて口の筋肉が記憶しているのだと思えてなりません。

 番組の中で辻井さんを評価して「天性プラス地道な努力」と言われていましたが、地道な努力こそが人間とは思えぬほどの驚くべき記憶、筋肉の記憶になったのでありましょう。

 
 仏教語に薫習(くんじゅう)という言葉があります。ものに香りが移り沁み込むようにあるものが習慣的に働き掛けることにより他のものに影響・作用を植え付けることとされていますが、天性の上に積み重ねられた努力が薫習となって筋肉の記憶となり、奇跡のピアニストと呼ばれる辻井伸行さんが生まれたのでしょう。 人間という存在の偉大さと不思議さを改めて実感する思いでした。



天才とは1パーセントの霊感と
    99パーセントの発汗なり
        ~トーマス・エジソン~

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