解脱ということ №69

平成23年1月17日

解脱ということ


      蠟梅芳香漂堂中     お堂に香るろう梅が
     厳寒冷気凛玲瑯     冷やかなこの寒中に
     微見寒中春来兆     春の気配を醸しています
     観音妙智遍充豊     観音さまのお働き

 上は今日、初観音の法語です。冷気凛としたこの寒中に芳香を放って咲く蠟梅に気高さと春の兆しを覚えるのは皆さまも同じと思います。不思議なものですね。一年で一番寒い時期にもう春の気配が覗きます。暑い時も同じです。冬絶頂に春が覗き夏絶頂に秋が顔を見せるのですね。時の変化は一時も停滞がありません。それこそが観音妙智力です。

 ところで、前号「放脱観」で脱は解脱の脱、と申し上げましたが、初観音にちなんで観音経の「解脱」について考えてみたいと思います。観音経はその最初に、もし人諸々の苦悩を受けし時、一心に観音様の名を唱えれば観音様は即時にその声を聴いて「解脱」することを得せしめん、と言い、俗に言う七難、火難水難黒風難刀杖難悪鬼難枷鎖(かさ)難怨賊難の窮地から「即(当)得解脱」(即ち・当に解脱することを得ん)と言っていますね。

 解脱、と言えば私たちは「絶対自由の境地」と思いますが、観音経に言う解脱は苦難からの解放です。窮地を脱することが解脱なのです。私たちは七難ならずとも常に何かに縛られ捕らわれているというのが真実ではないでしょうか。配偶者のこと、子供のこと、仕事のこと、自分のこと、人のこと。多くの方が様々なことに思い悩んでいると思います。 
 

 人間悩むのは当たり前、時には悩みも苦しみも必要です。でも、本当に苦しい時、観音様におすがりしてちょっと高みから見直す、離れて考えることも大切ではないでしょうか。一息して肩の力を抜く。それが解脱ではないかと思います。  


     己の苦しみの ここに尽くるを知り 
     重き荷を下ろし 繋縛(まつわり)を離れたるもの
    かかる人を婆羅門とよばん 
                              (法句経)~

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