別れ・旅立ち №42

平成22年4月9日 

別れ・旅立ち


 卒業式、入学式に象徴されるように三月、四月は別れと出会い、旅立ちの時ですね。二十四節季で言えば今は「清明」。文字通り春浅く清々しいこの季節が別れと出会いを一層印象深いものにしているように思います。人は別れに淋しさを、旅立ちと出会いに不安と期待を覚えずにはいられません。それがこの時期なのだと思います。

 三月末、私の弟弟子が永平寺に上山しました。墨染の衣をたくしあげ、振分け荷物に網代笠という威儀を整え、そぼ降る冷たい雨の中を歩いて行きました。師匠の寺から永平寺までは峠道を越えてほぼ十kmありますが、師匠の寺から上山する者はみなその道を歩いて行くのです。見送りのため途中まで一緒に歩きながら私は自分の時以上に言いようのない淋しさを感じずにはいられませんでした。

 旅というのが「異時間異空間」に身を置くことならば修行のために永平寺に行くことはまさに旅にほかなりません。旅というものが「非日常」を体験することならば修行そのものが旅にほかなりません。しかも、修行の旅は決死の旅です。修行に行く者はその荷物の中に「涅槃金」を忍ばせていますが、これは修行の途中で死ぬことがあった時のための葬儀の費用なのです。恐らくは胸に去来する不安と緊張を振り切るように弟弟子は無言のまま草鞋足を速めて峠に向かって行きました。

 人はみな人生という修行の旅を送ります。一人ひとりがそれぞれの旅をするのです。この人生の旅は日常に見えて実は非日常なのです。みんな一緒に見えて一人ひとりなのです。人生の真実は孤独と寂寥ではないでしょぅか。この春も多くの若人が学校を卒業し多くの若者が新しい仕事、新しい学校に進んで行ったことでしょう。新しい出会いに喜びを感じて元気に活躍して頂きたいと思います。ソワカ(幸あれ)。若者にソワカ。すべての人にソワカ。一切のものにソワカ、ソワカ。
 


     世の中の生死の道に連れはなし
         たださびしくも独死独来
                 ~小林一茶~

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