智に働けば… №86

平成23年5月19日

智に働けば…

   谷川のせせらぎ聴きて歩む目に息呑むほどの山藤の滝 
   万緑(ばんりょく)のへんろ山路の木漏れ日を踏んで歩めりもの思いつつ
 
 お遍路香川県編に行ってきました。今回は弘法大師がお生まれになった75番札所善通寺など11カ寺です。ご参加は神奈川からの三人を含めた小月組十名他総勢二十名。三日間とも上々の遍路日和に恵まれて和気藹藹、皆さん全行程楽しく歩いてくることが出来ました。特に今回は高林寺様のお蔭で善通寺の管長猊下や総持寺の後堂であった喝破道場の野田大燈師に親しくお会いできたことも大変有難いことでした。感謝申し上げます。

 また最終日15日の白峰寺から根香(ねごろ)寺に向かう山路は萌え立つ新緑の林で鳴く鳥の声や谷川のせせらぎを聴きながら木漏れ日を踏んで気持ちよく歩くことが出来ました。この道は数少ない昔ながらの遍路道なのです。万緑の木々の梢に山藤が滝のように花房を垂らしている様は息を呑むほどに圧巻でした。上の二首はその時の思いです。

 山路を歩きながらふと「草枕」の冒頭の一節が思い浮かびました。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。‥‥」漱石の言う「智に働く」とは理詰めで物事を処理するということでしょうか。理詰めで行けば文句の言いようがなくても実際にはそれでは収まらないことは幾らでもあります。言葉では言い負かされても腹の虫が収まらないことはありますよね。

 考えれば智に働くというのは「慢心」なのかも知れません。今度の原発事故にしても理論上は安全であったのでしょうがその安全は脆くも(つい)えました。智を優先した慢心の結果ではないでしょうか。思えば私自身無意識のうちに慢心を抱いて行動をしていることを否めません。改めて素直の大切さを思わざるを得ない山路でした。
 

    いま泣いたカラスがもう笑う。 
    子供の世界はいつでもそうだ。
    やわらかい仏のこころを生きているから。
                ~相田みつを~


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