正見 №101

平成23年8月1日

正 見


 ご覧下さった方もあると思います。いま本堂に「正見」と書かれたポスターが貼ってあります。先達て宗務庁から送られてきたこのポスターには背景に福島を示した日本地図が描かれ、そこに「正見。正しい知識に基づき冷静に行動すること。震災に苦しむ方々の心を正しく見つめ受け止めること。それが今、私たちに求められています」と書かれています。

 「正見」とは御存じ八正道の正見。偏見を離れた正しい見解のことです。お釈迦さまが説かれた実践徳目の第一がこの正見ですが、残念なことにいま被災者に対するいじめや差別が後を絶たないと言います。被災して転校した児童が「放射能が移る」といじめられたり被災者と分かるとタクシーの乗車や旅館の宿泊を拒否されたりという理不尽なことが起きているのです。

 むろん、これらは放射能についての誤解と偏見に基づく行為であることは言うまでもありません。科学的客観的事実をしっかり理解し冷静に判断すればこれらのいじめや差別がいかに誤った恥ずかしい行為であるかは言うまでもありません。福島原発の電力を享受してきた千葉県のある市では災害廃棄物を放射能汚染ゴミと誤解した市民から苦情が殺到したと言います。自分達の安全だけしか考えない身勝手な行為に情けなさを覚えてなりません。

 しかし、私たちは常に誰しもが差別心を持っていることを忘れてはなりません。部落差別、アイヌ民族差別、在日韓国人差別等を初めとして性差別、我が宗門には差別戒名もありました。しかも、これらの差別問題を私たちはまだ完全に乗り越えたとは言えません。部落差別もアイヌ差別も在日差別もなお根強く残っているというのが現実でしょう。
 

 これらの差別は私たちの無知、無理解から生じる誤解と偏見によるのです。時に差別問題は知らなければよしとする意見がありますが、これは誤りです。私たちは一つひとつの差別について正しい知識と理解を持たなければなりません。正しい知識と正しい理解こそが差別をせずさせないための唯一の手段なのです。いま福島被災者差別がこの最もよい例としてあるのです。妄言に騙されてはなりません。差別者になってはなりません。  


    よし髪を剃るとも
    いましめなく
    妄語(そらごと)をかたらば
     彼は沙門(みちのひと)にあらず
              ~法句経~

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