斃れて後已む №103

平成23年8月7日

(たお)れて(のち)()

 ゼンリュウさんという盛壮の僧がいました。36歳。付き合いが広く先輩に信頼され後輩には慕われるという期待の僧侶でした。それもこれもゼンリュウさんの人柄のよさと何事にも一生懸命取り組む態度の表われであったでしょう。そのゼンリュウさんが急逝してしまいました。それも先月禅昌寺さんの開山忌の時なのです。

 ゼンリュウさんは禅昌寺の開山忌には毎年随喜していました。調理が得意でしたから典座(てんぞ)寮(台所係)の一員としての随喜でした。で、今年も初日の7月18日、仕事をする姿で見えたのだそうです。しかし、その時既に相当具合が悪かったのでしょう。明らかに誰の眼にも仕事ができる状態ではなく、ともかく休め、と帰したということでした。
 
 しかし、ゼンリュウさんはよほど典座仕事が気になっていたのでしょう。その日夜典座寮の仲間の所にやってきて話をしていったといいます。この時、ゼンリュウさんは体調が回復していた訳ではない筈です。悔やまれるのはその日のうちに入院してくれていたら、ということですが、これは叶わぬ望みになりました。ゼンリュウさんはその日自坊に帰って翌19日には帰らぬ人となってしまったのです。
 
 私はこのゼンリュウさんと二度、典座仕事を一緒にしたことがあります。一度目は三年前秋、耕雲寺さんの晋山結制の時、そして二度目は昨年五月の大寧寺さんのお授戒の時です。その折のことを思い出してもゼンリュウさんがいつも陽気にしかもきちんと仕事をする人であったことが偲ばれますが、それはそのままゼンリュウさんの人徳であったと言えます。曹洞宗県青年会でも誠心誠意力を尽くしておられました。中国五経の一つ、礼経に「斃れて後已む」という言葉があります。死ぬまで努力して屈しないという意味ですが、ゼンリュウさんの一生はまさにこれであったと思います。とどまることのない努力の一生でした。その意味では短くはあっても燃焼し尽くした人生と言えます。敬礼してご冥福を祈りたいと思います。
 

   こころをばなににたとへん 
   こころはあじさゐの花
   ももいろに咲く日はあれど
   うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて
              ~萩原朔太郎~

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