痕跡 №102

平成23年8月6日

痕 跡

五月末頃であったと思います。本堂入口周りを掃いていた時のことです。壁際のコンクリートに土色の足跡がはっきりと残っていることに気づきました。あの住職ネコちゃんの足跡です。亡くなってもう二カ月近くになるのにまるで昨日歩いたようにくっきりと残っていたことにしばし感慨を覚えざるを得ませんでした。

勿論ネコちゃんは意図して足跡を残したのではありません。しかもその日気がつくまで私は何回か掃き掃除をしたはずですからネコちゃんの足跡が残っていたのは不思議にさえ思えます。一つにはコンクリートに沿って植えた芝が雨の跳ね返りで足跡が消えるのを防いだのでしょう。いずれにしても期せずしてネコちゃんの生きた痕跡となったのです。

生きた証、という言葉がありますが、人にはこの生きた証を意図的に残そうとする人とそれを消そうとする人の二つがあるように思います。生前に自分の銅像を作る等は前者でしょうし、人知れず世を去ることを願う人は後者だと思います。どちらが良い悪いではありません。それはその人の生き方考え方に依るのです。

そんなことを考えていた時、中国高速鉄道の脱線事故がありました。多くの人が亡くなった大事故にも拘らず翌々日のテレビにはあろうことか事故車両を土中に埋めている映像が流されました。紛れもない証拠隠滅。事故原因の痕跡を破壊してしまえばあとは自分達のシナリオ通りの説明が出来るという思惑であったに違いありません。何とも恐ろしい国です。
 
 この八月、我が国は66年前の痕跡に思いを致す時です。その痕跡とは言うまでもなく原爆ドームです。今から66年前の86日、広島県産業奨励館であったこの建物の上空で原爆がさく裂し13万人もの命が失われました。世界文化遺産ともなっているこの原爆の痕跡はいまは世界平和の象徴でもあります。折しも我が国はこの三月以降、原発事故の恐怖に晒されています。原爆と戦争の悲惨に改めて思いを致し世界平和の祈りを捧げましょう。
 

夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を
  雲井にあげよ (やま)郭公(ほととぎす)
          柴田勝家辞世

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