新しき年に No.124

平成24年 1月 1日

新しき年に


   望遠山不見眼前     隣の芝生は美しい

   惑迷到処何処辺     自分の芝生は草だらけ

   看々茶飯日常底     思い直して草むしり

   生死只存一息禅     おお、何とよい気持ち



 新しい年になりました。昨年が余りにも大変な年であっただけに特別な感慨をもって新年をお迎えになった方も多いと思います。せめてあのような大災害は来ないでほしいというのがお互い正直な気持ちではないでしょうか。私も切にそれを望んでいます。人々に多くの苦しみと悲しみを与える災害はどうか来ないでほしいと思います。

 しかし、それと同時に私たちが今までの考えを改め、生活を見直す必要も思わない訳にはいきません。思えば、私たちはこれまでより便利より豊かな生活を追い求めて来たのではないでしょうか。しかし、それらは多くの危険と隣り合わせでありました。豊かで便利な生活を求めるあまり振り返って足下を見ることをしてこなかったと思います。

 仏教の根本は自己の究明にあります。人間とは何かという問いを問い続けることにあります。そしてその問いの中で少欲知足を学び、少しでもそれを生活の中に生かしていこうとすることにあります。あり余るものに囲まれた生活が真の豊かさではありません。豪華な旅行や遊興三昧が心の満足をもたらすとは限りません。

 グルメの追求が食の真の豊かさではありません。「賢なるかな回や、一箪の食(し)一瓢の飲、陋巷(ろうこう)に在り」と言われた孔子の一番弟子顔回の如くに清貧に甘んじることは出来ずとも自らの生活を振り返り、与えられたもの、僅かなものの中に真の豊かさを見出し、それを楽しんで生きることを心がけていきたいと思います。



  あらたまの 観音さまに 願ひ込め 立てたる香の 煙直(す)ぐなり



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