思産子(うみなしぐゎ) №145

平成24年6月17日

思産子(うみなしぐゎ)

前号№144(ぞうさん)で僧侶が通過しなければならない伝法という儀式に幼児の仕種をまねた嬰児行(ようにぎょう)があることを書きましたが、涅槃経にはこれが菩薩が修行すべき五行の一つとしてあるのだそうです。 この涅槃経に言う嬰児行は二説あって、その一つは衆生に合わせて実ではない教えを説くという方便行だと言います。

 そしてもう一つは、無分別・不二という実相を体現している嬰児を習う行だということです。嬰児を表現する時「あどけない」という言葉を使いますが、あどけないとは邪心がなく可愛いという意味です。行としてはどのようにするのか知りませんが、いずれにしても嬰児の無邪気さに理想の姿をみていることは明らかでしょう。

 ずっと以前「童子神」という言葉を聴いた記憶があって、それを調べているうち「童(わらび)神(がみ)」という歌があることを知りました。因みに歌詞(古謝美佐子作詞)一番は、「天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に 生まれたる我が子 祈り込め育て イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー愛し 思産子(うみなしぐゎ) 泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 太陽(てぃだ)の光受けて ゆいりよーや ヘイヨー ヘイヨー 健やかに育て」です。

 この歌は2002年のNHKみんなの歌だそうですからお聴きになった方もおいでと思いますが、童神という曲名の通り、この歌は幼な子に神を見た歌でしょう。 歌詞のなかの「思産子」とは「私が生んだ子」という意味だそうですが、この言葉には我が子へのいとしさと同時に天から授かった尊い命、祈りを持って育てる神のような存在だという母の喜びと畏敬があります。

 いまこの国は子どもたちが安心して健やかに育つことが大変難しい国になってしまいました。

 政治も社会も環境も子どもたちにとって決してよい状況にあるとは言えません。しかし、幼な子が神さま仏さまに等しい存在であることは変わりありません。幼な子の姿に神仏を見出し、皆さまと一緒に自分の中の神仏を生きることに努めたいと思います。嬰児行とは己の中の本性、仏性を生きることなのでしょう。

幼い子供は 仏の世界にいるから 人間の常識を相手にしない 分別豊かな人間を相手にしない ~相田みつを~

0 件のコメント:

コメントを投稿