山頭火遍路 №165


平成241031

山頭火遍路


 遍路みち漂泊のたびの始まりか     啓二
 ぼんのうのままビール飲むおへんろさん 修司
 湯あたりにて交りし過去を見し遍路   明生
 旅立ちの空に吸われる筋肉痛      信善
 お遍路で気持ち新たに不退転      俊洞
 遍路旅果実みのりし秋の道       通良
 柿たわわ伊予の空は広い        純爾
 故里は何処の空ぞ赤蜻蛉        兵衛
 薄明に山の向こうから朝日       葉子
 すりすり歩く遍路道をバッタとぶ    さわ子
 遍路道ただただ歩くただ歩く      恵子
 雲ひとつない空に旅の予感       けいこ
 遍路みち川面に浮かぶ木の葉舟     祥子
 水きらり心を写す秋遍路        義
 登り切り涼風吹き抜く繁多寺      しげのり
 千年樹冷気(霊気)ただよう浄瑠璃寺  れいこ
 年老いて四国遍路のなつかしさ     マサ子
 遍路道稲刈りあとの彼岸花       みつとし
 雲のない秋を歩くただ歩く       洋仙

 101922日、山頭火を偲ぶお遍路に行ってきました。山頭火が最後の一年を過ごした松山の一草庵では一行一同で献句法要をいたしました。上に記した句がそれです。一草庵を守って下さっている方が「山頭火さんの喜んでいる姿がくっきりと浮かんできました」とおっしゃって下さいましたが、今回も高林寺さまのお蔭で意義深いお遍路が出来ました。感謝です。
 
 ご存知のように山頭火は山口県防府の生まれです。駅から家まで他人の土地を踏まずに歩いて行けたというほど裕福な造り酒屋に生まれながら、漂泊の人生を歩んだ山頭火の句は、私たちの胸を打ってやみませんが、その底にあったのは、山頭火九歳の時に自死した母を思う心であったろうと思います。今回のお遍路でそのことが痛切に思われました。

今回も皆さんよく歩かれました。前日まで不安だったという方も歩き始めると元気に歩けるのはやはりお大師様のお蔭、同行二人の力かも知れません。四国というところはその点でも不思議なところ、聖地なのですね。皆さまも同感だったと思いますが、路傍のお花と笑みを交わしながらのお遍路は生きている有難さを感じさせてくれました。

また、お遍路の三日目には私の古稀のお祝いまでして頂き、私にとっては二重に意義のある旅になりました。厚く御礼申し上げます。

濁れる水のながれつゝ澄む ~山頭火・一草庵句碑~

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