凛として
晩秋の 朝日の中に 凛として 咲きて静かな ツハブキの花
いま寺の境内にツワブキが咲いています。寒さの訪れを待つように、そして、日蔭もものともせず咲くこの花は、私たちに毅然とした風格を感じさせます。艶のある葉の間から立ち上がった花柄に咲く鮮やかな黄色い花は、夏の花とは異なった強さを感じさせて、“凛として”という言葉がふさわしいと思えてなりません。
今年もあと一カ月になりました。この一年、昨年のような大災害こそなかったものの、決して明るい年でもありませんでした。その一番は何と言っても政治の混乱、いえ、混乱というより滅裂でしょうか。与・野党が党利党略に走って政治の体をなし得ず、そこに私たちが希望を託す凛たるものの片鱗も伺うことは出来ませんでした。
凛とは冷たい氷に触れたようにピリッと身が引き締まる感じを言います。転じてりりしくきっぱりしている様を言うようになりました。ツワブキの花を“凛として”と申し上げたのは晩秋、初冬の身の引き締まる寒さに咲く姿に一番ふさわしい言葉と思ったからです。翻って、今年の日本にりりしさを感じさせるものがあったでしょうか。
私はこの凛、すなわちりりしさの元にあるのは自己究明の心、仕事でいえばプロ根性ではないかと思います。特に近年はどの職業においてもプロ意識の欠如が甚だしいと言わざるを得ません。申し上げた政治家はむろん警察官にも教師にも役人にも信じられないような事件が多発しているのはその表われと言うべきでしょう。
あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと…
茨木のり子「汲む」
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