時なき世
このたより№187(我も往かなむ)で市川団十郎さんの辞世「色は空 空は色との時なき世へ」を紹介いたしました。この句を詠まれた時の団十郎さんのお気持ちは、きっと六代目尾上菊五郎さんと同じではなかったという思いから不遜にも「我も往かなむ 踊り踊りて」とつけさせて頂きましたが、団十郎さんが往こうとした「時なき世」とは一体何でしょうか。
時なき世、を素直に考えれば「時間のない世界」ということになります。団十郎さんはむろんその意味で言われたと思います。では、時間のない世界とはどんな世界? そんな世界ってあるのでしょうか。時間の世界に生きている私たちには想像がつきません。時間がなければ動くものもないはず。それこそデルヴォーの絵のような世界なのでしょうか。
正法眼蔵「恁麼」に「いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし」という言葉があります。この言葉は「修証義」にも引用されていますが、私はいつもこの言葉を不思議だと思うのです。私たちの命が光陰、時間の世界に移されたということは、命はこの世(時間の世界)に移される前は時間のない世界にいたと取れるからです。
人誰しも歳とともに若き日の面影を失い、過ぎた日は取り返すことが出来ません。道元禅師はだからこそ人は本来の面目に向かって発心、修行することができるのだと言われます。光陰の世界に生きているからこそ、と言われるのです。諸行無常を感じられるのは時間の世界だからです。肉体を持った人間が修行できるのはこの時間の世界なのです。
とすると、やはり人は生まれる前は時間のない世界にいるのではないでしょうか。「時間はどこで生まれるのか」(橋本淳一郎著)という本を読んでいたら驚くべき記述がありました。「常識から言えば、この世界は現在という瞬間を境にして過去と未来しかないが、相対論では過去と未来以外に非因果的領域(あの世)が現れてくる」というのです。
驚きでした。橋本さんは「非因果的領域とは過去でも未来でもなく、ある意味で存在しない世界、比喩的にいえば“あの世”」だと言うのです。団十郎さんはこの世界を感じ取って「時なき世」と言われたのではないでしょうか。いまはこの世界で修行を続けておられるに違いありません。きっと。
けふのうちに とほくへいってしまふ
わたくしのいもうとよ みぞれがふって
おもてはへんにあかるいのだ
~宮沢憲治~