置かれた場所で咲く
紅梅の花また咲きて思ふこと命なりけり春のおとづれ
境内の紅梅が今年も濃い紅の花を咲かせました。寺の紅梅は裏庭に近い西の隅にあるのでお参りの方にはあまり気づいて貰えません。しかし、私は毎年この紅梅が咲くのを待っています。そして、花が咲くと「ああ春が来た」と思います。寒い冬であればあるほど、私はこの紅梅が春の訪れを告げてくれるのを待っているのです。
先日、渡辺和子さん(ノートルダム清心学園理事長)の「置かれた場所で咲きなさい」という本を読ませて頂きました。 実はその二三日前、テレビで渡辺さんが「置かれた場所で咲くために」という話をされていたので、本を読みたいと思っていたら、それを知ってくれたかのようにK子さんが本を持ってきて下さったのです。
今年86歳の渡辺さんは36歳の時ノートルダム清心学園の学長になったのだそうです。異例の抜擢に妬みもあったのかも知れません。就任当初はいわれのない周囲の反発に悩む毎日であったそうですが、そんな時、教えられたのが「置かれた場所で咲きなさい(Bloom Where God has planted you)」という言葉だったそうです。
以来五十年、渡辺さんはこの言葉を胸に過ごして来られたと言います。西洋のことわざ、隣の芝生はいつも青い、ではありませんが、人はとかくないものねだりしたり他人を羨ましがったりしがちです。自分自身がよいもの、素晴らしいものを持っているのに、それを掘り下げて考えず努力することをしないのです。
寺の紅梅を見て思いました。寺の紅梅は人知れずです。しかし、私は毎年、その紅梅に春を待ちます。夕陽の中の紅梅はひときわ美しく見えますが、それも植えられた位置が庭の西際だからです。置かれた場所で咲く、とはこのことでしょう。渡辺さんが言う通り、置かれた場所こそが神様が与えてくれた場所。そこで全力を尽くすことが生きるということではないでしょうか。
渡辺さんはご本の中で言われています。「ていねいに生きる、とは自分に与えられた試練さえも両手で頂くこと」と。
毎日を「私の一番若い日」として
輝いて生きる
~渡辺和子~
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