開き直る №188

平成25年3月10日
開き直る



 先日、庭で紙燃しをしていたら、その紙屑の中に冊子が見えました。拾い上げると何と私が教員を辞めた時の歓送迎会、つまり私にとっては送別会の時のパンフレットでした。パンフレットには同じ年に辞めたもう一人の方と他校に転勤した先生方のメッセージが載っていました。当時、歓送迎会ではその冊子をつくることが習わしだったのです。
 
 私は定年一年前に辞めたのでしたが、いま思えば、その時はそれが無性に寂しくつらいことだったのでしょう。パンフレットにそのことを書いているのです。いままで当たり前であった新学期がなくなって子どもたちや先生方に会えない寂しさはたとえようもない、と書いています。今でこそ「そんなだったんだ」と思いますが、当時はその通りだったのでしょう。
 
 その中で申し上げたのが「開き直る」という言葉でした。「教員という長年の場を失ったいま、追いつめられて開き直ることができたら、そこからまたきっと私の新しい人生が生まれます」と書いていました。私は開き直るという言葉は、本来は「心機一転」という意味であったと考えていたのです。改めてそれを目にして感慨深いものがありました。
 
 というのは、開き直る、には理由があったのです。そのときすでに私は師匠の寺に行くことが決まっていました。かみさんと娘を残しての家出、いや“出家”です。いままでとは全く異なった日になるという不安と心配がありました。慣れ親しんだ仕事の世界ではありません。開き直って心機一転しなければ身も心も持たないという悲壮に近い思いがあったのです。
 
 あれから十年余、それこそお蔭さまで私は命長らえてくることが出来ましたが、この三月、四月の別れと出発の季節、私は特に若い人たちにこの「開き直る」という言葉を贈りたいと思います。心機一転です。別の言葉でいえば「覚悟」です。開き直るというのは覚悟するということに他なりません。
 
 案ずるよりは産むがやすし、という言葉もあります。いたずらに恐れ心配して逃げるのではなく「よし、さあ来い」と勇気を出して新しい生活に飛び込んで頂きたいと願ってやみません。その人には必ず観音さまが応援してくれます。



              

           

             男は度胸、女も度胸、坊さんお経、
             漬物ラッキョウだぁ


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