つんつんツバナ №190


平成25年4月 1日
つんつんツバナ


 いつでしたか「五木の子守唄」は、子守奉公に出された少女たちの悲しい運命を歌った歌だと紹介しましたが、先日、久しぶりにこの歌を聴いていましたら、自分が知っている歌詞とは異なるものがありました。「花はなんの花 つんつんツバキ」の「つんつんツバキ」が「つんつんツバナ」と歌われていたのです。
 
 あれっと思って手元にあった本やネットで調べると、どれも「つんつんツバキ」となっていて「つんつんツバナ」というのは見当たりませんでした。元々、この歌は多くの伝承者によって歌い継がれてきた歌ですから、歌詞が一定していないのは当然ですが、あえてツバキでなくツバナと歌う心はどこにあるのでしょうか。
 
 この歌の中で子守の少女は「自分が死んでも誰が泣いてくれよう。裏の松山でセミが鳴くばかり。いや一人、妹がいる。私を思って泣く妹を思うと悲しい」と歌った後に「おどんが打死(うっちん)だば 道端埋けろ 通る人ごち 花あぎゅう」「花はなんの花 つんつんツバキ 水は天から貰い水」と歌うのです。
 
 この部分、前述のように、私が目にした歌詞はすべて「つんつんツバキ」でしたし、五木村の新しい橋の欄干のレリーフもツバキになっているそうですから、歌詞としてはツバキが大勢なのでしょう。しかし、私は「つんつんツバナ」と歌われるのを聴いて、これもこの歌にふさわしいと思いました。自分の子供の頃のツバナの思い出が重なったのです。
 
 皆さんはツバナを口にして甘みを楽しんだ記憶はありませんか。ちょうど今頃、子どもたちは穂になる前のツバナを摘んでその微かな甘みを楽しんだものでした。微かな甘みを喜ぶほど貧しい時代であったと言えます。子守唄の少女たちも春先にはツバナを口にすることがあったかも知れない。自分の子ども時代の思い出が少女たちの悲しみに重なりました。
 
 道端の土饅頭に手向けられたツバナは、子守奉公の少女たちの過酷な運命を象徴するようにも思われます。ツバキより一層切ない思いが募ります。ツバキでなくツバナとした人の思いもそこにあったのでしょうか。聴きつつ瞑目、(たま)安かれと祈るばかりでした。 

 



      三日月の ほのかに白し ()(ばな)の穂
                    ~正岡子規~

                        
                         




 
 

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