無心ということ №191

平成25年4月8日
無心ということ


              無心ということ    
      
      仏陀啓迪無常箴     お釈迦さま生まれて
      法灯脈々至而今     教え、世は無常
      祈念寝食日常底     祈りて暮らす毎日に
      春風青山露仏心     在してござるお釈迦さま

 画家の知人がいます。養護学校の先生でした。もちろん、美術の先生でしたが、神奈川県美術展で大賞を受賞して後、画家として独立されたのです。私はこの方の作風は突然変わったという気がしています。音楽家や画家の中には霊的なヒントを得て作品が変わる人があると聞きますが、まさにそのように一変したのです。
 
 実はその方は敬虔なクリスチャンです。私よりずっと若い方ですが、私にとっては畏友、常に道を求め続けている人、祈りの生活をされている方です。その方の今年の賀状に「ひたむきにバレエの稽古に励む姿に感動を覚えています」とありました。その言葉に私も思わず共感でした。私も全く同じことを思っていたのです。
 
 ドリーブ作曲のバレエ音楽「コッぺリア」をご存知でしょうか。村娘スワルニダが人形コッペリアになりすまして踊るという曲です。この曲を聴いていると、人形になりすましたスワルニダのひたむきな踊りが目に浮かびます。ひたむき、とはなりきるということです。曲に彷彿とするスワルニダの無心な踊りに私はたとえようのない感動を覚えるのです。
 
 知人の画家が感動を覚えると言われるのもきっと同じだろうと思います。そして、ひたむき、無心の大切さを思うことも同じではないかと思います。上の法語で私が言いたいのもそのことです。私たちは日常がひたむきでなければなりません。食べること眠ること、それら何でもない日常が無心に出来なければなりません。
 
 邪心邪念の多い私たちにとってひたむきに、無心に、そのものになりきるというのは難しいことです。しかし、私たちもトレーニングすれば出来るはず。その時はきっと仏陀を現前に見るに違いありません。


                  



               花心なくして蝶を招き
               蝶心なくして花を尋ぬ
                     ~良寛詩集~


                                     




                           

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