色即是空 №192

平成25年4月9日
色即是空



  色即是空

      
        菜の花も 桃も桜も 野の花も らんまんの春 色即是空
 
  いまお堂にはサクラ、モモ、バイモなど春のお花が咲くたびに活けられています。目を向ければ、苑庭には到るところ、マンダラゲ、ハコベ、キランソウ、タンポポ、ショカッサイ、ニワゼキショウ等々、沢山の野の花が今を盛りと咲いています。上の歌はそのさまを詠みました。春爛漫の花の景色こそ「色即是空」ではないかと思ったのです。
 
 色即是空、とはご存知、般若心経の言葉です。 般若心経では、観音様が深波羅密多を行じている時、人間の身体も心も心の働きもみな空であること(五蘊皆空)、いや体や心ばかりでなくこの世界に存在するものは皆な空である(色即是空)ことを悟って一切の苦厄から離れることができたと述べられています。では、この空とは一体何でしょうか。
 
 ある本は、この空とは存在の空しさだと言います。人間をはじめ存在するものは永遠のものではなく実体はどこにもない。すべては仮の姿に過ぎない、と空しさを言います。またある本は、五蘊がそうであるように、すべての存在は縁によって生じ縁によって滅するという縁起説によって無常を強調します。しかし、皆さんはこれで納得されるでしょうか。
 
 私たちが無常の存在であることは間違いありません。身の回りのものも同じです。やがては必ず消滅します。しかし、だからと言って私たち生身の人間は、実体はどこにもないという空観になかなかなじめません。幾ら寄せ集めと言われても、現に生きて動いているこの自分は何なんだ、と言いたくなるのではではありませんか。

私はこの「空」を“神仏の現われ”と解したらどうかと思います。一切の存在は神仏の力の現われと解するのです。私はこの世界、そして宇宙はそれを司っている神仏に依っていると思います。であるならば、一切のものはその神仏の力によって現われているはずです。一切皆空とはそのことを言っているのではないでしょうか。

一切が神仏によっているならば、そこには生滅も増減も浄も不浄もありません。神のまにま、仏のまにまにです。そう思えてこそ私たちは、人間の苦悩を離れることが出来るのだと思えてなりません。


 


        なに事も 皆みほとけに まかす身は
        心にかゝる うきふしもなし
                ~妙好人 孫之烝~


                      
                                   






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