「終の信託」考 №193

平成25年4月17日
「終の信託」考


 
              「(つい)の信託」考
 
 周防正行監督の映画「終の信託」を観ました。この映画の題名が気になっていたのです。映画は作家、朔 立木さんの同名の作品に由っていますが、その意味はむろん、死に臨んで自分が信頼する人に後を頼むということです。役所広司、草刈民代さんが「Shall We ダンス」以来16年振りに共演というのも話題でしたが、何よりどんな映画かと思っていたのです。
 
 しかし、感想第一は気が沈む重さ、でした。笑う場面ひとつありませんし、恐らく臨終を託した患者も信託を守って実行した医師にとっても思わぬ結果になってしまったことが観ている者には後味の悪さとして残りました。患者、江木秦三の「チューブ人間拒否」の望みは達せられましたが、信託を実行した医師、折井綾乃は罪を着せられたのです。
 
 以前このたよりでも、終末医療としての胃ろうの難しさを紹介しましたが、この映画が提起するのも尊厳死と終末医療をどう考えるか、だと思います。映画では患者の日記に「信頼できるのは(折井)先生だけだ。最期の時は早く楽にしてほしい」と書かれていたことがリビング・ウィル(尊厳死を希望する患者の遺言状)と認められながら有罪になったのです。
 
 近年、あちこちで尊厳死が語られるようになりましたが、この映画が提起するように尊厳死はわが国の法律ではまだ患者が望む形では殺人罪になりかねません。 自分で自分の死を演出しようとする人が多くなっているという昨今、私たちは終末医療、尊厳死を自分の問題としてとらえる必要があると言えましょう。
 
 話は少しずれますが、江木秦三の折井綾乃への信託の中に「臨終の時の子守唄」があります。江木が、感覚器官で最後まで残るのは耳ということだから、最期の時に子守唄を歌って欲しい、と頼むのです。それは江木が満州での子ども時代、被弾して死に瀕した幼い妹を、父と母が一晩中抱きながら子守唄を歌っていたという体験によるものです。
 
 折井は江木の死に臨んでその約束を果たします。私はその時、これが本当の枕経だと思いました。枕経は本来は臨終にされていたと言います。末期の時、耳に安心の言葉を伝えることが平安の旅立ちになるに違いありません。
    

                     
             

        ねんねんころりよ おころりよ ぼうやは
        よい子だ ねんねしな
                ~「江戸子守唄」~          
                                   


 

0 件のコメント:

コメントを投稿