母を思う №197

母を思う
平成25年5月17日


母を思う
 
 5月は母の月。そして今日は水子供養と幼い子供たちが健やかに育つことを祈る日。母の慈愛に感謝し祈る日です。みなさんもきっとそうだと思いますが、人間歳を重ねれば重ねるほど母のことが懐かしく有難く思われてくるのではないでしょうか。昨年も申し上げましたが、母存命中何の孝行もしなかった私が、今になって母が懐かしいと思うのです。
 
 母の有難さはどこにあるのでしょうか。金子みすゞさんに「さびしいとき」という詩があります。 「私がさびしいときに/よその人は知らないの 私がさびしいときに/お友だちは笑ふの 私がさびしいときに/お母さんはやさしいの  私がさびしいときに/佛さまはさびしいの」 
 
  私はここに母の慈愛があるような気がします。よその人が気づいてもくれないさびしさ。さびしさを知りながら笑う友だち。そんな孤独の時にやさしくしてくれるお母さん。そのやさしさはわが子のさびしさを思う切ないやさしさです。ただ黙って子のさびしさに寄り添い、その心を温かく包んでくれるやさしさです。
 
 私はそのやさしさに仏さま以上の慈愛を感じます。母だからこその切なさを覚えます。もうひとつ、みすゞさんに「雀のかあさん」という詩があります。「子供が 子雀つかまへた。その子の かあさん笑ってた。雀のかあさん それみてた。お屋根で 鳴かずに それ見てた。」 子雀の悲運を黙して見ている母雀の切なさは何と言ったらよいのでしょう。
 
 いま日本にはさびしい子どもがたくさんいます。親に無視され虐待されている子どもは言うに及ばず、原発事故で故郷を失った子どもたち、その避難先で言われなき差別を受けている子どもたち、級友にいじめを受けている子どもたち。その子どもたちにとって救いになるのはさびしさに黙って寄り添ってくれるお母さんです。
 
 一昨年の大震災では父や母を、さらには両親ともに失った子どもがいます。その子どもたちのさびしさを癒してくれるのは父や母に代わる周囲の温かい寄り添いしかありません。どうぞ皆さん、その子どもたちのために祈りを捧げて下さい。


         


          諸人よ 思い知れかし 己が身の   
          誕生の日は 母苦難の日
                     ~作者不詳~








0 件のコメント:

コメントを投稿