祈りの原点 №198

祈りの原点
平成25年5月25日


祈りの原点
 
 教員時代お世話になった先生のお孫さんにH君がいます。今春、念願の国立大学に見事、現役合格しました。実は先生の奥様を通して合格祈願を頼まれていましたので私も一生懸命だったのですが、H君、受験した学校すべて合格ということでしたから、よほど優秀であることは間違いありません。
  
 合格の知らせの後、面白い話を聞きました。私がお世話になった先生は先年お亡くなりになっていて、その奥様がH君の近くにお住まいなのですが、H君は受験勉強をその奥様の家でしていたのだそうです。奥様からすれば家の物音がする場所でどうしてと思われたそうですが、ご本人は一向に構わずだったそうです。
  
 それだけで微笑ましく思いましたが、もうひとつ、明日受験という日にはH君、必ず仏壇にお参りをしていたそうです。きっと実力が発揮できるようおじいちゃんにお願いをしたのでしょうが、そのことを聴いて私はいい話と思うと同時に、それこそが祈りの原点だと思いました。そこから祈りが始まると思いました。
 
 祈りの原点は願いだと思います。人間が自然の中の一存在であった時、人間の存在は自然まかせでした。人間の生殺与奪は自然にありました。人間はおのれの生存を自然、そして目に見えない力に願わざるを得ませんでした。その一心の願いこそが祈りの原点でありましょう。その願いの中で人間は生かされている存在であることを知ったのです。
 
 一口に「祈願」と言いますが、正しくいえば「祈り」と「願い」は違います。語弊を恐れず言えば、願いは人間の欲望です。欲しい、ありたいという欲が根本にあります。欲があるから人間なのです。しかし、祈りはその人間の欲から一歩はずれます。自分を生かしている自然あるいは大いなる存在と同化しようとするのです。
 
 前にも申し上げましたが、お日様に向かって明日も東から昇って下さいと祈ること、川に向かって海に向かって流れて下さいと祈ること、それは祈らなくてもあり続けることです。それを祈りとすることは自然の摂理に同化しようということに他なりません。願いから祈りへ。私はH君がその第一歩を歩んでくれたと思います。




       正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に 
       意識してこれに応じて行くことである 
           ~宮沢賢治「農民芸術概論綱要」~






0 件のコメント:

コメントを投稿