「色即是空」考 №213



「色即是空」考      

平成25年8月7日
 インドのカジュラーホーという小さな町にカジュラーホー寺院群と呼ばれる10世紀後半から12世紀前半に作られたヒンズー教やジャイナ教の寺院群があります。シカラという搭を持つ独特の建物の壁面は圧倒されるばかりの男女の交合像(ミトゥナ像)で埋め尽くされています。まさに彫刻と建築が一体化した寺院群と言って過言ではありません。

 しかし、その寺院の内部は、明るい戸外とは一転して薄暗くガランとして何もありません。壁面に埋め尽くされた抱擁する男女の官能的な彫像の裏側は暗く何もない空間なのです。言うまでもありませんが、この二つの対比は偶然ではありません。意味あるものとして作られているのですが、その意味するものとは何でしょうか。

ヒンズー教では人生には三つの目的があるとします。すなわち、アルタ(富や資産の獲得)、カーマ(愛、快楽)、ダルマ(法と解脱)です。そして、人はその人生の時期に応じて、この三つの目的の実践に努めなければならないとされていますが、このカジュラーホーの寺院群はそのうちのカーマとダルマを表わしているに違いありません。

愛の象徴は性愛と言えますから寺院の壁面はミトゥナ像で飾り、七転八倒して生きる人間を表現します。壁面はこの世に生きる人間を表わしていると言えましょう。それがカーマです。しかし、人間はこのカーマの時を過ぎてダルマに向かわなければなりません。人間の本性に帰ること、それがダルマ、解脱です。

ダルマを象徴するのが、寺院の内部、暗くガランとした空間でありましょう。空間とは一切を包含するものです。一切を包含するものは神仏です。寺院内部のガランとした空間は「人間の本性は神仏である」と言っているのでしょう。現象と本質を併せ持つ存在が人間であることを建物の外側と内側によって教えているのではないでしょうか。

先日、般若心経の「空」は絶対者の世界だと申し上げましたが、まさにこの「空」を象徴的に表わしたのが、カジュラーホー寺院の内部の空間だと思います。人間は人間として生きるが、その本性は神であると言っているのだとすれば、それはまさに「色即是空」でありましょう。

      ダルマ、アルタ、カーマを実践する者は、
      現世においても来世においても幸福に恵まれる。
                 ~「カーマ・スートラ」~

0 件のコメント:

コメントを投稿