感謝に生きる №215



感謝に生きる


平成25年8月10日
 
      感謝とは 善悪ともに 恩と知る 忘我の祈り 颯々として

 上の歌は八月の火除け法要の案内ハガキに書いたものです。句ごとの一音もしくは二音を綴って頂くと「かんぜおんぼさつ」になるという趣向でしたが、言わんとするところは感謝とは何かということでした。

 皆さまも同じと思いますが、人間よいこと、嬉しいことがあった時には「ああ、有難い」と自然に感謝の気持ち、感謝の言葉が出ると思いますが、反対につらいこと、悲しいこと、困ったことが起きた時にはそうはいきませんね。何でこんなことが、何で私に、と恨み嘆くのが普通ではないでしょうか。

 しかし、です。観音さまの恵みは決して嬉しいことばかりではないのです。いえ、むしろつらいこと、困ることこそ恵みであるというのが真実なのです。そのつらいことこそ、自分が果たすべき人生の目的である可能性が大きいのです。ですから、自分にとって不都合な出来事こそ恵み、恩寵と思うことができたら、それこそが真の感謝なのです。

     観音千眼観衆生     かんのんさまの
     観音千手済群盲     千の眼千の手
     諸人存命弘誓船     お蔭を頂き
     日々感謝日々平     感謝に生きる

 群盲象を撫でる、という諺がありますが、観音様から見れば、私たちはまさに群盲です。一端を知ってすべてを理解したと思っているに過ぎません。しかし、観音様はこのような私たちを常に千の眼で見守り、千の手で救って下さっているのです。観音様の大きな救いの船に乗せて頂いているのが私たち人間でありましょう。

 そのことに思いを致し、毎日のお蔭に感謝して祈りの日を送ることこそ私たちの勤めではないかと思います。人間は自分の力で生きているのではなく、大いなる力に生かされているに過ぎません。生かされてあることに感謝する毎日こそが祈りだと思います。 

     生きることは有難いこと
     生かされて生きる不思議を知り
     すべてに感謝し 手を合わせてゆこう
                ~坂村真民~

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