時空感覚 №216



時空感覚


平成25年8月11日

 先日、この観音寺も七夕祭をしましたが、折よく神奈川のYさんが、こんな記事がありました、と新聞の切り抜きを送って下さいました。国立天文台副台長の渡部潤一さんという方の「変容する時空感覚」という記事です。渡部さんは、携帯電話やメールの普及が、私たちの時空感覚ばかりか人間の精神までも変えていると言われるのです。

確かに渡部さんが言われるように、呼び出し電話が連絡手段であった頃に比べて、いまは誠に便利な時代になりました。しかし、その反面、今度は氾濫する情報に溺れ、時間に追われる生活になってしまったのではないでしょうか。渡部さんはもっとゆったりした時空感覚をと“星空浴”を勧められるのです。

渡部さんによれば、今後まだ五億年は生きるという織姫と彦星が、一年ごとに会うというのは、寿命100年の人間に換算すると6秒に一度という頻度になるのだそうです。おお、何とではありませんか。星達、宇宙の時空感覚からすれば「人間の一生は愛おしいほど一瞬」なのだとおっしゃるのです。

いや、なるほどなぁ、と感心しながら、ふと仏教の時間感覚を思いました。仏教の時間感覚も壮大なのです。よい例が弥勒菩薩さまの下生(げしょう)(神仏のこの世への出現)です。仏教ではお釈迦さまの後、この人間世界に現われて下さる菩薩さまは、弥勒菩薩さまということになっていますが、何とそれはお釈迦さま入滅から567千万年後だというのです。

もう一つ。これは生物学の話ですが、「個体発生は系統発生を繰り返す」という説があります。19世紀半ばにドイツのヘッケルという人が唱えたのですが、生物は受精後、その種の進化の過程を繰り返すというのです。人間であれば、魚類に始まって両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類を辿って誕生するということになります。
 
 ということは、人間はその誕生までの十ヵ月に魚類以来の何億年かを集約して過ごしていることになります。これも“おお何と”ではありませんか。仏教の壮大な時間といい、私たちは不思議な時間の中に生きているということでしょうか。


人生すなわち「邯鄲(かんたん)の枕」 
黄梁(こうりょう)一炊の夢」に()かず
        ~「沈既済・枕中記」~

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