「Born Again」 №221

平成25年9月23日
「Born Again」 №221


       「Born(ボーン) Again(アゲイン)
    
       透きとおる白い風吹く白い秋静かな庭にひとり佇む

 
  朝晩涼しくなりました。暑さ寒さも彼岸までとは言いますが、今夏が異常な猛暑であっただけに、このところの涼しさが嘘のように感じられます。上の一首はそのほっと一息の気持ちを詠みました。静かな秋の陽ざしの中に佇んでいると白秋と言う言葉が実感されますね。
 
 今日はお彼岸中日ですが、五輪真弓さんのデビュー40周年記念シングルに「Born Again」という歌があります。ラジオ深夜便の歌として今月いっぱい流されていますのでお聞きになった方もお出でではないでしょうか。私はこの歌の題に興味を惹かれました。

Born Again(ボーンアゲイン=新生)は、広辞苑によれば、文字通り「新しく生まれ出る」という意味と「生まれ変わった気持ちで人生に再出発すること、特に信仰によって心の一変したさま」を指すのだそうです。「Born Again」の歌詞を読んでいて、私は五輪さんはその両方の意味で作詞されたのではないかと思いました。歌詞の一部をご紹介しましょう。

命はどこに旅立つのかこの身が風に散っても/愛した心はどこへゆく/今はすべて忘れていい/そのぬくもりだけを信じながら生きよう/悲しみ苦しみ恐れなどない世界へ/BORN AGAIN 明日はまた陽が昇る新しい日が/ BORN AGAINもういちど生まれ変わって君にあいたい/瞳をとじれば見えてくる懐かしいふるさとの空/無邪気な思いを呼び覚ます(以下略)

勝手な解釈をさせて頂けるなら、冒頭の「命はどこに旅立つのか」というのは、魂の不死を暗示させますし、「愛した心」は念の力を、そして「悲しみ苦しみ恐れなどない世界へ」という詞、後半に出てくる「涙などみせない楽しみ喜び微笑みが待つ世界へ」という詞は魂の浄化、さらに言えば「空」の世界を言っているように思います。

 歌を聴きながら改めて思いました。私たちが生きているというのは自分と自分を含む人類の魂の浄化のためであると。魂の浄化に努める時にBorn Again(新生)があるのだと。そして魂の浄化は一回の人生で完成するものではなく、そのために何十回、何百回と繰り返される生死が必要なのだと。私も真に願います、Born Again


 

     しんの変身とは/生きる姿勢を/変えるこ
     とだ/自分のためばかりに/生きてきた/
      この身を/他人のために…  
                 坂村真民







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