イルミネーション №237

イルミネーション
平成25年12月15日 
 この時期、12月になると各地で色とりどりのクリスマスイルミネーションが見られますね。下関近辺でもあちこちに飾られているようです。この小月でも駅ロータリーの毎年のイルミネーションは通る人たちに安らぎと感動を与えてくれていますが、なかには個人の家の見事な飾りが“観光名所”になっているものもあるということですね。
 
このクリスマスイルミネーションが、いまのように大々的になったのはいつごろからでしょうか。日本で大規模なものは函館、仙台、東京、神戸などだそうですが、神戸の「神戸ルミナリエ」は1995(平成7)の阪神淡路大震災で亡くなった人々の鎮魂の意を込めて同年の12月に始まったそうですから19年前になります。

さらに今年28回目を迎えるという仙台の「SENDAI光のページェント」は、特に東日本大震災によって亡くなった人たちの慰霊を掲げてはいませんが、「小さな光を見て感動したい。それは明日、そして未来に託す希望の光」という趣旨には、東日本大震災からの復興と同時に犠牲者への慰霊に思いを重ねる人も多いに違いありません。

私は「神戸ルミナリエ」のみならず、わが国のクリスマスイルミネーションには仏教の万灯会(まんどうえ)に通底するものがあると思います。万灯会というのは懺悔(さんげ)滅罪のために一万の灯明を点して仏・菩薩に供養する法要ですが、イルミネーションが同じように、明かりを用いて鎮魂したり見る人の心に訴えたりすることは万灯会に共通していると思うのです。

それではどうして慰霊鎮魂や人々の心への訴えに明かりを用いるのでしょうか。私たちが毎日仏壇に明かりを点すのはなぜでしょうか。それは明かり自体が仏であり菩薩であるからです。そして同時に明かりは私たち自身でもあります。仏さまの本体は光です。そして私たち人間もその本体は光なのです。

以前、ホタルと花火のことで申し上げましたが、人間の本体が光であるからこそ私たちはホタルや花火に魅かれるのです。クリスマスイルミネーションも全く同じではないでしょうか。イルミネーションに幻想的な美しさを感じるのも私たちがそもそも光であることに由来しているのでしょう。
 

     ひかりは ありと あらゆるものを つらぬいて ながれました
      にんげんのこころも ひかりのなかに うまれました                       ~八木重吉~

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