「月」の少女 №238


「月」の少女

平成25年12月17日

 このたより、№184(月を差す指)で月を指さす少女の話を書きました。女の子が「月ッ」と声を上げて指さす姿に私自身が感動を覚えた話です。今年二月半ばのことでした。ところが、何とその少女にまた会うことが出来ました。この前と同じ菊川温泉でです。少女はこの前と同じように祖父らしき人と一緒でした。

 二月、その少女にあった時、月は上弦を一日過ぎた日でしたが、奇しくも今回も同じでした。今月上弦の翌日、11日のことです。生憎この日は曇り空で月は一瞬雲間から見えただけでした。女の子は湯桶に入れたおもちゃで遊んでいましたが、時折ちらっと空を見上げるしぐさがありました。その動作で私はあの少女だと分かったのです。

 少女はこの日も月を気にしていたのでしょうか。残念ながらこの度は少女が「月ッ」と叫ぶ姿は見ることが出来ませんでしたが、私には少女がこの日も月に心を寄せているように思えてなりませんでした。と同時に、二月に会ってから十カ月という時間が過ぎていることを思いました。この少女にもそれだけの時間が過ぎたのです。

 今日17日は満月です。月の満ち欠けは新月から始まり、満月に至る半月を上弦、満月から新月に至る半月を下弦といい、新月から新月に至る月の周期を「(さく)望月(ぼうげつ)」と言います。「朔」は「ついたち」すなわち「月たち」=新月です。望は「もち」=望月・満月です。月は29.53日を掛けてその満ち欠けを繰り返すのです。

 しかし、この朔望、上・下弦が正確には瞬間であることをご存知でしょうか。暦を見ている限り、その日一日が朔であり望であるように思いがちですが、正確にはその瞬間があるのです。申しましたように今日は満月ですが、今日の満月の瞬間は1829分です。次の新月は一月一日、元旦は月の満ち欠け通りの朔日になりますが、その瞬間は2015分です。

 申し上げたいことは諸行無常。月も一瞬たりとも留まってはいないのです。瞬々刻々、変化し続けて止むことがありません。月に限りません。あらゆるものが、です。すべてのものが変化し続けて行くのです。「月」の少女に十カ月が過ぎたように私にも十カ月が過ぎました。変化は留まることがないのです。
 

     月やあらぬ 春や昔の春ならぬ
        我が身一つは もとの身にして
                ~在原業平~

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