のらネコ考 №247

のらネコ考 №247
平成26年 2月20日
のらネコ考 
 
 当観音寺の住職ネコちゃんが遷化してから間もなく三年になります。平成23年4月4日、花まつりとやすらぎ平和観音様の開眼を行なう直前のことでありました。住職ネコちゃんは、このたよりに変らずいてくれるように私には忘れられない存在です。今なおネコちゃんのことを言って下さる人があるほど寺にとっては偉大なる存在でした。
 
 住職ネコちゃんがいなくなってから境内には何匹もののらネコが現われるようになりました。寺を住処にまではしていないようですが、朝となく昼となくごく自然にのらネコが庭を徘徊しています。最初は困った悪戯をすることもありましたが、段々礼儀をわきまえて近頃は徘徊も風景の一つになってまいりました。
 
 つい先達てのことです。そのうちの一匹、茶ネコが延命地蔵さんの下にうずくまっていました。雪の降る日でした。近づくと、そのネコが私に向かって鳴いたのです。雪から免れるだけのお堂の下では寒いことはもちろんでしょう。普段は鳴きもしないそのネコが鳴いたのはその窮状を訴えたのかも知れません。切ないものがありました。
 
 思えば、同じネコに生まれながら人も羨む邸宅に住み、贅沢な食事と寝場所を与えられ、あまっさえ美容までしてもらえるネコがいると聞きますが、その一方には上の茶ネコのように、雪が降る寒い日にも、その寒さと孤独をじっと耐えるしかないネコもいます。これも運命なのでしょうか。しかし、運命というには過酷という気もします。
 
 そう思っていてふと気づくことがありました。それはネコも修行なのだ、と。私たち人間は一生が修行です。人間として修行するためにこの世に生を()けたのです。その修行は人さまざまです。多くの苦難を余儀なくされる人もあれば、何の苦労もなく富に恵まれ幸せな生涯を送る人もあるに違いありません。
 
 ネコもきっと同じなのです。今生でのらネコとして生まれ、困難と悲哀を味わうのはきっと次の生のため。その苦労の一生はきっと豊かに恵まれる次生のためであるに違いありません。私たちのこの人生がそうであるように、ネコの生涯もまた次の生のための修行なのでしょう。

 


          のらネコと 生まれて寒し 雪降る日
               されどいつかは 恵みを受けむ


















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