「永久に」の意味 №261

「永久に」の意味 №261
平成26年 5月 3日



 「永久に」の意味
 
 人の体験や記憶は年月とともに薄らいでいくのが常でありましょう。それはある面必要でもあります。忘却というのは人間が生きていくための仕組みでもあるのです。しかしその一方、人にはそして国には、決して忘れてはならない体験や記憶があります。私たち日本人にとっては戦争体験と平和への祈りがそれではないでしょうか。
 
 この53日は、昭和22年同日に日本国憲法が施行されて67年目になります。しかし、ここへきてこの憲法を変えようとする動きが急になっていることは皆さんもご承知と思います。その一番の問題は第9条(戦争の放棄)の改定にありますが、私はこれこそが戦争体験の忘却であり平和への祈りを踏みにじることに他ならないと思えてなりません。
 
 憲法第9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。私はここに「永久に」とされているのは文字通りの意味と同時に、この第9条の永遠性を宣言していると思います。憲法改定が声高になってきている今こそこの意味を考え直さなければなりません。
 
 私はこの憲法の創案者は、戦争体験の風化と平和への決意が揺らぐ時代が来ることを予見していたに違いないと思います。日本国民全員が戦争の恐怖と悲惨を再び繰り返さないと決意したことが「ぶれる」時が来ると思ったからこそ「永久に」としたのだと思います。戦争放棄の決意は永久にぶれてはならないと宣言したのです。
 
 いま改憲主張者のなかには、現憲法がアメリカによる押しつけだとして“自主憲法”を叫ぶ人がいますが、憲法施行の昭和22年に文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」には「あたらしい憲法は、日本国民がつくった、日本国民の憲法です」と書かれています。これが当時の日本国民の偽らざる気持ちであったことは間違いありません。
 
 私はここで敢えて“ぶれる”という言葉を使いました。憲法を改めようとするのは憲法、分けて第9条の精神からぶれることなのです。平和の祈りから外れることなのです。ぶれてはなりません。中国や韓国との関係が悪化しているいまこそ一層、「永久に」の意味に思いをいたし、平和への決意を新たにしていこうではありませんか。

 

 

     平和をあなたにもたらすことができるのは、
     あなただけだ。
             <エマソン>


                         








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