障害と人生 №264

障害と人生 №264
平成26年5月17日


 障害と人生

「あなたは障害者ですか」と尋ねられたとして「そうです」と答える人は少ないでありましょう。なかには「馬鹿なことを!」と憤慨する人もあるかも知れませんね。しかし、「人間はみんな障害者です」と言われたらどうですか。やはり、それを肯定する人は少ないでしょうか。そんなことあるものか、と思う人が多いでしょうか。
 
 「人はみな障害を抱えた存在である」というのは、シュタイナー学校の創設者、ルドルフ・シュタイナーが言っているのです。これを聴いた時、私は眼からうろこの思いでした。養護学校の子どもたちを見ていて、私は彼らが“いわゆる”障害者に過ぎないことを、彼らを障害者というなら自分もまた障害者だと思っていたからです。
 
 先達て、ここにお参りになっていたUさんのご逝去を申し上げましたが、Uさんもいわゆる障害者でした。出産の時にへその緒が首に巻きついて手足に不自由をきたす障害を負ったというのです。Uさんは恐らくその運の悪さに悩んだ時期もあったと思います。しかし、私たちの前のUさんはいつも明るくお元気でありました。
 
 Uさんが亡くなって後、お出で下さったお母さんの話で、私はUさんがご自身の障害とまっすぐに向き合って生きて来られたことを知りました。Uさんが障害を乗り越えるために努力の人生を送られたことを知りました。Uさんは障害に真摯に向き合い、それを克服することによって常人の為し得ぬ人生を送られたと思いました。
 
 「人間はみんな障害者」の話に戻れば、いわゆる障害者に限らず、私たちはみな心身や知情意のどこかに障害を抱えているのです。日常の生活でそれが目立たなくても障害を持っていない人はありません。逆にいえば私たち人間は障害を持っているからこそ、その克服のために生まれて来たと言えるのです。
 
 お分かりでしょうか。私たち人間はすべて障害のゆえに生まれてきているのです。ですから、私たち人間のこの世での目的の一つは自分の障害を認識し、それにしっかりと向き合ってその克服の努力をするということなのです。それが来世につながる手段なのです。どうぞ皆さんも頑張って下さい。

 


  教育はいわゆる健常な人のための治療なのであり、
  治療はいわゆる障害のある人のための特殊ケースである。
              シュタイナー










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