杓底の一残水 №284

杓底の一残水 №284
平成26年 9月17日


杓底の一残水
 
 前号№283(心の持ち方)で「節水」のことを申し上げましたが、その節水で思い出すことがありました。それが表題の言葉です。この言葉には「流れを汲む千億人」という言葉が続きます。教えられなければ、恐らく気づかずに通り過ぎてしまうと思います。永平寺の正門、左右の石柱に刻まれている言葉です。

 この「杓底(しゃくてい)一残(いちざん)(すい)、流れを汲む千億人」という言葉は、道元禅師が水の豊かな永平寺にあってもお使いになった柄杓の水をまた流れに返されたという故事に依っています。柄杓の底の僅かな水がまた千億人の人たちの水になるのだという教えです。水に対する感謝を忘れず、同時に豊かにあるものでも大事に使うという教えなのです。

 振り返って私たちはどうでしょうか。温泉風呂に行くと時折、湯や水を出しっぱなしにしている人がいます。蛇口をひねれば出る水とはいえ、それはあまりに勿体ないと言うべきでしょう。「杓底の一残水」の教えは決して水だけの教えではありません。私たちが生活のために使用する全てのものを大事に大切に使いなさいという教えなのです。

 先達ての広島の豪雨災害を初め、この夏も各地で自然災害がありました。この原因は温暖化に起因する地球環境の変化でありましょう。ここに至るまでには自然への畏れを忘れた私たち人間の限りない欲望がありました。欲望だけに突き動かされた生活がありました。近年の自然災害は私たちの欲と奢りが招いた結果と言って過言ではないのです。

 沢山あるものでも大事に使う。少ないものであれば一層大事に大切に使う。そして、それに満足する。欲を出したらキリがないのが人間です。何処かで歯止めをかけて足ることを知らなければ、結局は自分で自分の首を絞めることになります。私たちはいま既にその状態になっていることを認めなければなりません。

 私たちは改めて道元禅師の教えに学びたいと思います。人間の生存に欠くことのできない水も元をたどれば源流の一滴です。その一滴が千億人の命の基となるのです。一滴の水の貴さを知らなければ水の有難さは分かりません。あるものを大事に使う。なければないで我慢する工夫する。それが少欲知足だと思います。


         一銭を笑う者は一銭に泣く








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