アサギマダラ2 №291

アサギマダラ2 №291
平成26年10月18日


アサギマダラ2
 
 前号、アサギマダラ(№290)で、私が一番不思議に思ったのは、僅か数本しかない寺のフジバカマをどうしてアサギマダラは見つけることが出来たのかということでした。植物に詳しいYさんは、それは香りであろうと言われます。“嗅ぎ分ける”という言葉がありますが、文字通り嗅ぎ分けてきたのでしょうか。
 
 実は最近、クモの不思議な力についても、改めて感心させられたことがありました。その一つは、クモが水に流されない力をもっていることです。ある日、外の洗面流しを洗っていると、流す水に漂いながら流されない小さなゴミがあるのです。不思議に思って水を止めてみると、何とそれはクモでした。クモがそんな力を持っていることを初めて知りました。

もう一つは、張った巣の巧みさです。いま境内はあちこちクモが巣を張っていますが、朝日に光るクモの巣を見ていると、その見事さにつくづく感心させられます。本能とは言え、2,3ミリの間隔で正確に糸を張るのは芸術的と言ってよく、しかも、その巣の多くは巣を安定させる糸で補強されているのです。感嘆しかありません。

生物というのは動物であれ植物であれ、種の保存のために驚くべき不思議な力を持っているのでありましょう。身近な昆虫であるクモ、そして今回のアサギマダラ。ともに自らの生存のために私たちにとっては不思議としか言いようのない力を持っています。だからこそ、見事な巣を張り、僅か数本のフジバカマを発見することができるのでしょう。

そう考えていて、この自分もまた実は驚くべき力、仕組みによって生きていることを思わざるを得ませんでした。人間は小宇宙に例えられますが、それは私たちの身体が宇宙に匹敵する精妙な仕組みによって成り立っているからです。食べ物一つ、口で咀嚼し胃や腸で消化吸収されてエネルギー化するまでには驚異的に複雑な仕組みが働いているのです。

 私たち人間の体は一瞬の停滞もなく生と死を同時に繰り返しています。生きているというのはその「動的平衡」を保つことですが、私たちは普段それを意識することはありません。身体の精妙な働きを知ることも意識することもなく過ごしていますが、そのお蔭がなければ生存そのものが不可能なのです。珍重珍重。


 

      てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
                  安西冬衛








 


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