平成26年10月10日
続「ふれあい」考
このたより№272で、Uさん、Mさんのご体験を紹介し、「ふれあい」は「触れ愛」だと申し上げましたが、つい最近まったく同じことが書かれている本を読みました。たより№285で紹介した看取り医、大井 玄さんの著書『病から詩が生まれる』です。この本の冒頭に「触ることの不思議」という話が載っていたのです。
大井さんはご自分が医療の力を信じ、その力に魅かれていた若い時に“ぼけ老人”と呼ばれる人たちの宅診事業に携わることになり、それまで信じていた医療の世界とは真反対の世界、“ぼけ老人”と呼ばれる人たちとの関わりに、生老病死の道筋が地平に至るまで続くのを一望に見る体験、をされます。その体験が“触れ愛”だったのです。
その当時、認知症の女性は家庭から孤立し、離れで淋しく暮らしている人が多かったと言いますが、そんな一人を大井さんが訪問した折、そのあまりに可哀そうな姿に思わず横に座って肩を抱いてあげたら、その女性は突然嗚咽しはじめたというのです。そういう体験を繰り返すうち、大井さんは触るという行為が不思議な作用を及ぼすことが分かったと言います。
その不思議な作用について、大井さんはアメリカの心理実験を上げています。それは次のような実験です。図書室の司書に本を返しに来た学生の腕にごくさりげなく触って貰うのだそうです。ごくさりげなくなので学生は触られたことに気づかないものの、触られた学生は触られなかった学生に比べて圧倒的にその司書に好感を抱くことが判明したというのです。
このことは何を意味するのか。大井さんは「触られたことは意識に届かないが、脳はきちんと触られたことを覚えていて“好き”という情動的反応をしている」と言われます。大井さんはまた別のところで「私たちの世界認識はほとんどが無意識によってなされている。意識されるのはほんのわずかだ」とも言われています。
「触れ合い」はやっぱり「触れ愛」でした。触れられたことを意識しなくても無意識の中ではそのことがきちんと記憶され、「愛」という情動反応を惹起するのですね。本には手を当てているだけで大人しくなる認知女性の例も記されていますが、「触れる」ということの不思議さを改めて思いました。
すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
<ノヴァーリス>
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