花は無心 №318

花は無心 №318
平成27年 4月18日


花は無心 
    
        主なき家に今年も桜咲く褒めてあげたいその健気さを
    野の花も深山の花も花はみな只々無心無心に咲きます
 
毎年、桜の咲く頃に同じ道を通る用事があります。その途中、すでに廃屋になった家に咲く桜を見ることが例年のことになりましたが、今年もその桜が見事に咲いていました。通りすがりそれを見て思わず「よく咲いたね。今年も頑張ったね」と声をかけたい気持ちになりました。主のいない家に咲く桜は健気としか言えません。
 
 でも、こうも思いました。花が咲くのは主のあるなしには関係がない。主がいようといまいと時が来れば咲き花咲けば実を結ぶ。それが草木であると。その思いが二首目の歌です。私たちは木や草の花を見ると、思わずそこに感情を移入してしまいます。美しい花や可愛い花にはむろん、何気ない路傍の花にも思いを寄せるのが常でありましょう。
 
 しかし、花は見る人の思いとは無縁です。見る人がどう思おうと頓着は致しません。花は人に褒められたくて咲くのではありません。よく思われたくて咲くのではありません。欲も得もありません。草木が生きるということ。ただ生きるという無心の結果に過ぎません。だからこそ美しさがあるのかも知れません。
 
 花は同時に様々な色姿香りを持っています。種類ごとに独特の色があり形があり香りを持っています。それが意味するものは生きるということ、ひたすらに生きるということです。草木がおのれの命を全うするために全力を尽くしている姿が花という形になるのです。まさにそれは「花を咲かせる」ことではありませんか。
 
 私たち人間も同じだと思います。与えられた自分の命を精一杯生きること。それが自分という花を咲かせることだと思います。ひたすら生きること。一生懸命生きること。無心に生きること。草や木のように誰にへつらうこともおもねることもなく、一心に生きること。それが私たち人間の課題ではないでしょうか。

       

            あれを見よ深山の桜咲きにけり
                  誠をつくせ人知らずとも










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