限界は非限界 №325

限界は非限界 №325
平成27年 6月 5日


限界は非限界
 
 お遍路報告の続きです。前号に書きましたように今回のお遍路は難所「遍路ころがし」を含んだコースでしたから参加者は足に自信がある方ばかりでした。それだけに私を除く5人のお方はさほどの苦もなく歩いておられました。常連、神奈川からの登山家Kさん、今回結願を果たしたマラソン選手Sさんは無論ですが、紅一点、長門のMさんには今回も敬服でした。
 
  Mさんも日ごろよく歩かれている方ですので、今回も不安はなかったと思いますが、それでも健脚ぞろいの男性に伍して歩かれるのは容易ではなかったと思います。しかし、弱音も吐かず遅れを取ることもなく歩き続けられたのは驚嘆に値します。Kさんの頻発駄洒落に笑って応じながら歩かれたことには敬服しかありません。
 
 その一方トホホの私です。今回も日ごろの運動不足が祟りました。平らな道はともかく険しい登り道下り道には閉口しました。ため息どころか、もうこれ以上は無理かと内心思うことが稀ではありませんでした。しかし、その時ふと気づいたのが、“限界は非限界”ということでした。文字通り、足が棒のようになってもまだ歩くことは出来るのです。
 
 端的にいえば、自分が限界と思ってもそれはまだ真の限界ではないということでしょう。とかく私たちは困難に面した時それを早くあきらめがちです。しかし、それはまだ甘い。もっと頑張れるのに途中で投げ出しているのが現実ではないでしょうか。以前にも同じような体験をしたことがありますが、今回改めて限界は非限界と思わせられました。
 
 話は全く別になりますが、もう一つ、今回のお遍路で気づいたことがありました。早場米の産地四国ですから歩く道に見える田んぼは、田植えを終えているところが多かったのですが、その田んぼに生き物を見ることがほとんどなかったのです。タニシどころかオタマジャクシもいません。もちろんそれらを捕食するサギたちも見られませんでした。
 
 このことは何を意味するでしょうか。それは田んぼが生きていないということです。見た目は田んぼに変わりはありませんが、その田んぼは生きた自然の田んぼではないということです。地球上の生物は生物の連鎖によって生きているのですから、それを考えると、生き物がいない田んぼは不気味としか思えませんでした。うーんです。

 

                      なんでもいいからさ 本気でやってごらん …… 
                      本気でやれば つかれないから 
                      つかれてもつかれがさわやかだから    
                                                    相田みつを












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