ホトトギス №327

ホトトギス №327
平成27年 6月17日


  
  一昨年、このたよりで観音寺にホトトギスが来たことを書きましたが、今年も忘れず来てくれました。6月初めの十日ほど、まだ明けやらぬ早朝、あの甲高い独特の声で目を覚ましたことが稀ではありません。早朝だけでなく夕刻も、そして時には夜も鳴いていました。その後聴こえなくなったのは更に北へと渡っていったに違いありません。
 
 その鳴き声を聴いているうち、昔の人はホトトギスをどう思っていたのか気になって万葉集、古今和歌集、新古今和歌集を開いてみたのです。そうしたら「わぁーっ」でした。ざっと見ただけでもどの集にもホトトギスを詠んだ歌が2,30首も纏まってあるのです。それらを読んでいて昔の人が今よりはるかにホトトギスに親しみを持っていたことを知りました。
 
  五月山(さつきやま)卯の花月夜霍公(ほとと)(ぎす)聞けども飽かずまたも鳴かぬかも(万葉集)
   五月()ば鳴きもふりなむ郭公(ほととぎす)まだしきほどの声をきかばや(古今和歌集)
   あしひきの山郭公わがごとや君に恋ひつつ()ねかてにする(〃)
   むかし思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山郭公 (新古今和歌集)
   ひとりのみ聞けばさぶしも霍公鳥丹生(にう)の山辺にい行き鳴かにも(万葉集)
 
 上の5首のうちの初め2首は往時、人々が如何にホトトギスの声を待っていたかですし、3首以下はその鳴き声に人恋しさや寂しさを思っていたことを示しています。ホトトギスは夏の到来を実感させると同時にその鳴き声に恋心や懐旧の気持ちを覚えたのでありましょう。当時は季節やその季節の生物が人々の生活や心に深くかかわっていたのです。
 
 生活と言えば、ホトトギスには「死出(しで)()(おさ)」という別名がありますが、これは「(しず)の田長(田植え時を教える頭)」が変化した言葉と言います。ホトトギスが鳴く時が田植え時という目安になっていたのでしょう。ホトトギスはその点でも今の私たちには想像できないほど人々の生活に密着した鳥だったのです。
 
 またホトトギスの歌は「卯の花」と一緒に詠われたものが沢山ありますが、これもホトトギスと同じ時期の花として親しまれていたからでありましょう。昔の人々にとっては花も鳥も生活の一部であったことを改めて知りました。


                           目には青葉山ほととぎす初鰹
                                    山口素堂













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