許せぬ差別 №330

許せぬ差別 №330
平成27年 7月 5日


許せぬ差別
 
 許せない話を聞きました。その方のご子息家族が東京からこの山口に引っ越して来たのだそうですが、その家族の少年が転校した中学校で「汚い空気運んできた」といじめを受けたというのです。「汚い空気」というのはもちろん放射能のこと。これは許すことが出来ない差別です。少年に対する不当な差別です。
 
 「汚い空気運んできた」という言葉は、恥ずべき無知と差別心の現われです。第一に放射能が移るという無知、東京と福島をごっちゃにしている無知、福島県民は放射能をまき散らす人間、と見る偏見です。最近の日本は政治も社会も「反知性」そのものと言われますが、このいじめの言葉はその典型でありましょう。
 
  4年前、原発事故のため各地に転校せざるを得なくなった小中学生があちこちの転校先で「放射能」「汚染、寄るな」「帰れ」といういじめを受けたことは、皆さんもまだ記憶に新しいと思いますが、それから4年の今にして、この山口で恥ずべき無知による差別的ないじめが起きていることに憤りと悲しみを覚えてなりません。
 
 しかし、差別は他人ごとではありません。差別を生む無知、誤解、偏見は常に自分自身の問題です。差別意識を持たない人間はありません。人は差別と被差別のうちに過ごしていると言えるほど、差別は自分に関わっているのです。その差別をしないためには、私たちが常に現象を正しく理解し、差別に陥らないように努力するしかありません。
 
 差別にはもう一つ、親兄弟、周囲の人間の言動が大きく関わっていると思います。人は本来差別意識を持っていないはずです。しかし、何時の間にか差別意識を覚えてしまうのは、周囲の言動による影響が大きいと思います。そうであればあるほど、私たちは子や孫が不当な差別意識を持たないよう自分自身の言動に意識的でなければなりません。
 
 仏教の僧団を「和合衆」とか「和合僧」と言います。和合とは人同士が解けあって和らぐということです。それは決して自然に出来るのではありません。互いを尊重し助け合い励ましあってこそ生まれるものです。差別のない社会、差別をしない社会にするために私たちが不断の努力をしなければなりません。

 

   よそから来た子は かわいい子、どうすりゃ、おつれになれよかな
      よそから来た子は よそ言葉、 どんな言葉で はなそかな 
                                      「転校生」金子みすゞ
















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