平成27 年 7月16日
みるく世がやゆら
お聴きになった方が多いと思います。「みるく世がやゆら」は、先達て6月23日、沖縄の「慰霊の日」の追悼式で県立予勝高校3年の知念 捷さんが朗読した自作の平和の詩「みるく世がやゆら」の中で繰り返して問いかけた言葉です。この言葉の意味は「平和でしょうか」。いまほどこの言葉が胸を刺すことはありません。
知念さんは詩の冒頭、「戦世や済まち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命ど宝」という琉歌を詠んでいます。この琉歌は1932(昭和7)年に沖縄出身の画家で作家の山里永吉氏が書いた戯曲「那覇四町昔気質」の幕切れの琉歌「いくさ世もしまち みろく世もやがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」がその原典と言います。
「那覇四町昔気質」は、琉球国最後の国王、第十九代尚泰を描いた戯曲で、上の琉歌は明治12年、国王が琉球処分でその地位を失い、居城の首里城を出ることになった日、別れを惜しんでやってきた人たちに、悲観して自害することのないように呼びかけた言葉であったと言います。国王は人々にやがて弥勒の世、平和な時代が来ると励ましたのでありましょう。
国王尚泰の思いを伝える「命どぅ宝」。命こそ宝という言葉ほど悲痛に沈む人々を励ますものはなかったと思います。死を覚悟した人々が生きていこうとする勇気をもたらす言葉であったと思います。そしてそれは同時に沖縄戦で命を落とした20万の人々、二十歳にもならずに死んでいった多くの学徒全員の思いであったに違いありません。
「みるく世がやゆら」。改めてこの言葉を思います。私たちはいま平和でしょうか。日本はいま平和でしょうか。琉球の苦労を共にしてきた人々と別れる国王尚泰の切なさ、圧倒的な戦力の前に逃げ惑い、無残に死んでいった多くの人々の苦しみを私たちは忘れずにいるでしょうか。私も言わざるを得ません。「みるく世がやゆら」と。
知念さんは訴えます。「古のあの琉歌よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ 今が平和で これからも平和であり続けるために みるく世がやゆら」と。沖縄の辺野古の問題も平和の問題に直結しています。日本が平和な国であり続けられるか否かは、私たち一人ひとりの意識に懸かっているのです。
「忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを
伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを…」
知念 捷
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