包む・慎む №332

包む・慎む №332
平成27年 7月17日


(つつ)む・(つつし)
 
 花の散り方には色々ありますね。花びらを散らすのはサクラ、ボタン、ハギ、キク等ですが、同じ散るでも散り方の表現は様々です。サクラは散る、ボタンは崩れる、ハギはこぼれる、キクは舞うと言います。サクラの散るには花びらが風に舞う趣がありますし、ボタンの崩れるには大きな花びらが折り重なって落ちているさまが見えるではありませんか。
 
 一方、花びらを散らすのではなく、ツバキのように花全体が落ちるもの、アジサイのようにドライフラワー状態に(しお)れるもの、アサガオのようにしぼむものがありますし、バラのように枯れていつまでも枝についているものもありますね。それらはその状態から落ちる、萎れる、しぼむ、枯れると言われます。
 
 何でこんな話かと言いますと、先日、境内に咲いているヤブカンゾウを切り花にしたのです。ところが、一日楽しんで翌朝気がつくと、その花が包まれたように閉じているではありませんか。しかも、その閉じ方が実にきれいなのです。しぼんだというより、これから咲く蕾のように明らかに“意志的に”閉じられていたのです。
 
 ヤブカンゾウは一日花ですが、まさか散り際がそんな状態になるとは思ってもいませんでした。そして二日目、その花はそのままぽとりと落ちました。散り際に身を包む。こんな律儀で見事な散り方を知りません。 開ききった花びらをもう一度蕾のように包むことは意識と余力がなければ出来ないことでしょう。
 
 身を包んで散る花、私はそこに慎ましさ、律義さを覚えずにはいられませんでした。「慎む・謹む」という言葉は「包む」という言葉と同源です。身を包むことが慎むことなのです。ヤブカンゾウはどうして散り際に花びらを包むのか。私はその理由の前に、その現象に大きな感銘を受けずにはいられませんでした。
 
  法句(ほっく)(きょう)に「心はふるいたち 精進(はげみ)つつしみて おのれを(とと)のうるもの かかる賢き人こそ 暴流(あらなみ)もおかすすべなき 心の(しま)をつくるべし」という言葉があります。慎むというのは意志、努力です。自然になるのではなく、意志の力でつくられるものです。ヤブカンゾウの散り方に私はそれを改めて教えられた思いです。



                    ちりぬべきとき知りてこそ世の中の
                          花は花なれ人は人なれ
                             細川ガラシャ












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