人生遍路 №347


人生遍路
平成27年11月3日


 人生は旅に譬えられます。私たちは春夏秋冬、年々歳々、移りゆく時の流れの中で泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしていますが、それが人生という時間の旅です。その人生の旅の中で旅に行くこともありますね。むろん、その旅には長い旅も短い旅もありますが、時にその旅が人生を象徴することもあります。それが「人生遍路」です。

 先月1019日~22日、また四国お遍路に行って参りました。今回は愛媛県の52番太山寺から71番、香川県の弥谷寺までの20ヵ寺です。ずっと秋晴れの好天に恵まれての爽快でしたが、私の歩行は例の如くにふうふうでした。一方、紅一点のMさんは今回も颯爽と歩かれてご立派でした。日頃の鍛錬の賜物でしょう。

 ところで、私が今回のお遍路に何故「人生遍路」と思ったかと申しますのは、実は今回は出発前から旅の寂しさを感じてならなかったからです。私はこれまで長い一人旅の前に言いようのない寂しさを覚えることがよくありましたが、今回もその言いようのない寂しさをしきりに感じてならなかったのです。

 今回のお遍路も一人ではありません。道中、一人になることはあっても前か後ろには連れがいます。なのに、どうして私は旅の寂しさを思ったのでしょうか。考えてふと人生の寂しさに思い至りました。人は一人で暮らしてはいません。むろん一人暮らしの人もいますが、その人も心のうちに共生する人がいるはずです。

 しかし、多くの家族と一緒に暮らしていても人は煎じつめれば一人です。人は一人生まれて一人死ぬのです。親子兄弟夫婦等、如何に親しい間柄であっても生死をともにすることは出来ません。人生というのは基本的に一人の寂しさを持っているのでありましょう。旅も同じではないでしょうか。人生は一人ということを感じさせるのが旅ではないでしょうか。

 お遍路は観光の旅ではありません。まして歩き遍路はその道中様々なことが胸に去来します。自分のいままでのこと。楽しかったことよりもつらかったこと、悲しかったこと、後悔が先になります。人は誰しも苦しみと悩みのうちに生きます。旅が教えてくれます。 人生は一人遍路だと。
 


   人生は遍路と言いしその心
      遍路の旅はひとりさみしい
                  洋仙

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