「あなたといます」 №348


「あなたといます」
平成27年11月4日 
 お遍路話の続きです。今回の初日1019日の泊まりは58番仙遊寺さんでした。この仙遊寺さんの宿坊には5年前の3月にもお世話になっていますので私は宿泊2回目です。余談ですが、この仙遊寺詣りは最後の階段がきついのです。山腹の本堂まで上りの階段が半端ではありません。私は今回も手すりにつかまってようようでした。

 この仙遊寺のご住職は、四国遍路を世界遺産にしようと発案され、その登録に努力されておいでですが、そればかりか、寺に来る悩める若者の面倒を見たり、休耕地の田んぼ4町歩を預かって米作りされたりというユニークなお方です。田んぼ4町歩というのは専業農家並み。イノシシなどの害獣と闘いながらの米作りは大変なことと思います。

 ところで本題。朝のお勤めの後のご住職のお話には真実胸を打たれました。ご住職の奥様は昨年10月にご病気で亡くなられたのだそうですが、その奥様が亡くなる時、ご住職に向かって「私はいつまでもずっとあなたといます」とおっしゃったのだそうです。今わの際だけにご住職どんなに切なかったろうと思います。
 
でも、この奥様の言葉には大変大きな意味があると思います。それは魂の不死です。輪廻転生を信じる私は奥様の決意に心から納得します。奥様は肉体を失っても魂の存在としてご住職の力になり続けたいという強い思いを「ずっとあなたといます」という言葉で表わされたに違いありません。意識永遠の信念があればこそです。

 ご住職は奥様の死によって葬儀の大切さを改めて認識したと言います。私もそれに全く同感でした。葬儀というのは亡きがらを荼毘に付すための儀式ではありません。次の生への旅立ちをして頂くための出発式なのです。だからこそ葬儀には導師が必要なのです。迷うことなく旅立ちをして頂くために行く手を示す導師が必要なのです。

 ご住職は奥様が亡くなって後に奥様の偉大さを痛感すること多く、それだけに生前に感謝の気持ちを十分に伝えていなかったことを悔やむばかりと言われます。伺って粛然とせざるを得ませんでした。しかし、奥様の言葉通り、奥様は常にご住職と共にあってご住職を助けて下さるに違いありません。合掌。
 


     ぼうやは わたしのひとみのなかに 
     わたしのからだのなかに
     わたしのたましいのなかに います 
                ~タゴール「おわり」~

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