瞬間が命 №350


瞬間が命
平成27年11月17日


     黄葉公孫樹満天    イチョウ黄葉がそびえたつ
    独立蒼穹秋愈禅    空高くして秋静か
    思秋過去茫々時    ひとりいにしえ思う時
    而今一瞬続連綿    この一瞬も永遠と
 
寺のイチョウが黄葉しました。見上げると枝葉の広がりが天を覆うばかり。そして静かな秋です。思春期に対して思秋期とはよく言った言葉。秋は一人もの思うことが多い時ですね。考えればこの私も茫々たる長い年月を生きて来ました。振り返ってそのあまりに長い時間に畏れとも驚きともつかぬ感慨を覚えてなりません。

 しかし、私のこの厖大な過去も瞬間の連続でありました。いまこの時、という瞬間の連続が茫々たる過去を作ったのです。ものすべてがそうです。イチョウは公孫樹と書きますが、これはイチョウが老木でないと実らず、孫の代になって実る樹という意味です。イチョウはその間休んでいるのではありません。瞬々刻々の努力を積み重ねているのです。

 そして、それはイチョウに限りません。木や草が花を咲かせ実を結ぶのは一瞬の生の積み重ね、営々たる努力の賜物です。落葉樹が紅葉して葉を落とすのは、春にまた新しい葉を作るための準備です。サクラが冬を忍ぶのは花を咲かせるための努力です。一木一草、一瞬たりとも休んではいません。常に次のために一瞬を生き続けているのです。

 それは「一瞬の時が命」であるということになります。「命とは一瞬の時」ということになります。一瞬を措いて命はありません。その一瞬には過去のすべて、そして未来のすべてが含まれています。その一瞬(を生きること)こそが私たちの命に他なりません。道元禅師の「()()()(こん)」という言葉はそれを言っているのだと言います。

 私は自分の茫々たる過去において、その一瞬一瞬に力を尽くしてきただろうか。そう思うと忸怩たる思いを拭いきれません。永遠のこの今、永遠のこの一瞬を大切に生きて行くことを改めて思います。
 


   やれなかった やらなかった 
     どっちかな
           ~相田みつを~




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