所作の美
平成28年2月16日
先達ての大相撲初場所で大関琴奨菊関が初優勝しましたが、何とこの優勝は日本出身力士10年振りとのことでも話題になりました。確かに近年優勝するのはモンゴル出身の力士ばかりでしたが、日本出身力士の優勝が10年振りと聞けばそんなに長いこと優勝から遠のいていたのかと改めて驚かざるを得ません。
考えればここに十年足らず、特にモンゴルの力士が活躍するようになって一層、大相撲は変わってきたという気がします。一つにはむしろよくない意味で相撲がスポーツ化したと思います。観るものからすると、勝てばいいという感じの取り組みが多くなったように思うのですが、皆さんはどうお思いでしょうか。
もう一つは力士の土俵上での立居振舞い、所作の美しさが見られなくなったという気がします。所作そして礼儀の美しさでは随一の力士に本県出身の豊間将関がおりましたが、昨年引退してその感動的なまでの姿を見ることが出来なくなりました。しかし、このことは実は大相撲にとって大きな問題だと思われてなりません。
相撲は国技と言われますが、それは相撲が単なる勝負ではなく、その修業の中に「道」と呼べるものがあるからに違いありません。そして、その道を形として表わしたものこそ礼儀、所作ではないでしょうか。相撲を単なる勝負ととれば勝つことが優先され、道を究めることも礼儀を貴び所作の美しさを考えることもなくなります。
これは私たち僧侶の世界にも共通することです。仏道という道の修行には礼儀が欠かせません。そして次には礼儀に発する身のこなし、所作の美しさが求められます。いつかも申し上げましたが、私たちには「威儀」という言葉があります。狭義には服装を言いますが、四威儀という時には行住坐臥、日常の立居振舞いすべてを指しています。
大相撲においてその精神的根幹というべき道の体現が薄れているのではないかという思いの一方で我が身もまた反省をせざるを得ません。修行者として礼儀に外れたことをしていないか。日々の生活に美しさを求めることを忘れていないか。私たち人間は一日一日が修行だと思います。
喰う寝る坐るくしゃみする
息する生きるこれが仏道
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