懺(さん) 悔(げ) №363

(さん) ()
平成28年2月17日 

 お釈迦様の弟子、仏弟子になる第一歩に受戒という儀式があります。この受戒でまずすることが上に記した懺悔(私たちはこれを「さんげ」と読んでいます)です。師の言葉に従って懺悔(さんげ)(もん)を唱えますが、これは受戒のためには自分が冒した過去の罪科(つみとが)を告白し、許しを乞いて清浄の身になることが必要だからです。

    我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔  

これがその懺悔文ですが、この偈文は皆さまも耳にして下さったことがあると思います。意味は、 /私の過去の悪行は/貪りと怒りと愚かさに依っています/身と口と心から生まれた悪業の/その一切を私は懺悔します/となります。

ところで、何でまた懺悔の話かと申しますのは、実は私最近、自分の過去の行為がしきりに反省されてならないのです。自分の思いやりに欠けた言動が多くの人を傷つけ悲しませて来ただろうということ。勇気がなくて人を助けられなかったこと。数々のそれらを思うと己の罪深さに正直、大声で叫びたいほどの気持ちになるのです。

私はこれから自分の過去の悪業を懺悔し続けたいと思います。自分に勇気がなくて救えなかった人、思慮に欠けた言動によって傷つけた人たちに心からお詫びしたいと思います。今生のうちに懺悔の大切さを知り得たことに感謝し、清浄の心身に一歩でも近づけるように心からの懺悔を続けたいと思います。

一昨年でしたか、今月二月涅槃会で涅槃経にある「常に当に自ら勉め精進してこれを修すべし、為すこと無うして虚しく死せば後に悔あることを致さん」という一節を申し上げました。精進なく無意味に人生を過ごしたならば死して後に後悔をするであろうという意味でしたね。懺悔も同じだと思います。悔いを少なくするのが懺悔だと思います。

因みに上に記した懺悔文を私なりに意訳散文化してみました。よろしかったらどうぞ皆さまもこの懺悔文をお唱え下さい。

「この身この口この心/そこに生まれた我が罪を/悔いて許しを祈ります/なあむ大慈かんぜおん なあむ大悲かんぜおん/
 


  懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、
    又滅罪清浄ならしむるなり
          ~修証義「懺悔滅罪」~


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