天知る地知る №384

平成28年7月 1日
№384 天知る地知る


天知る地知る                         
 例の都知事の一件。友人に「地位恋々(れんれん)恥の上塗りしますぞえ」と駄洒落川柳を送りましたら、その友人から「マえもって スんなりやめればいいものを ゾっとするよな エらい結末」と狂歌が返って来ました。その通り、結局は知事辞任になりましたが、見ているものには何とも後味の悪い一件でありました。
 
 しかし、この後味の悪さにはいまの日本の政治にはむろん、私たち一人ひとりに関わる問題が含まれていると思います。それは一言で言えば「欺瞞」です。舛添さんは、問題となった木更津市のホテルで一体誰と会合したのかと再三問われながらその名を明かすことを拒み続けました。これでは会合そのものがなかったと思われて当然でありましょう。

 ここに舛添さんの欺瞞を思わない訳にはいきません。 舛添さんは恐らく自分が指名した弁護士の調査結果を公表することで問題の終息を図れると思ったのでしょうが、自ら語ることなく真実の解明を装った自作の調査で逃れようとするのは狡猾な事実隠しでしかありません。都民を欺き騙し愚弄する以外の何ものでもありません。
 
 中国の故事に由来する「天知る地知る()知る我知る」という成句があります。ここに言う天と地は天地双方の神、子とは相手である君、我はもちろん自分。この四人が知っている以上、隠し事はいつかは必ず漏れるという意味ですが、ここで最も大切なのは我、自分です。隠し事を一番よく知っているのは自分です。他を欺くことは出来ても自分を騙すことはできません。
 
 舛添さんは当事者として自分が知っている事実を話しませんでした。これでは不誠実と言われて仕方ありません。政治家失格と言われて仕方ありません。そして、このことは日本の政治全体に言えることではないでしょうか。欺瞞を恥じない国会議員、虚偽と欺瞞に満ちた政治がつくる日本の将来が不安でなくて何でありましょう。
 
 しかし、これは私たち自身の問題でもあります。私たち自身が虚偽の言動をしていないか。欺瞞の生活をしていないか。自ら問うて改めて襟を正す思いがあります。お釈迦様、観音様が望まれるのは真実一路、偽りのない正直な心です。今回のたよりは書いていて ただ無念。皆さん、ともに正直な生き方を目指しましょう。

 

                
 
           「他山の石以て玉を(おさ)むべし」
                     詩経












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