「心のGP」宣言 №415

「心のGP」宣言
平成29年1月2日
 表題の「心のGP」の「GP」って何のことかご存知ですか。私が若い時、医学雑誌の編集に携わっていた頃は、この「GP」という言葉を聞くことがよくありました。「GP」とは「a General Practitioner」の略語、「開業医」を言います。もちろん、今でも開業医は沢山おいでですが、その意味は当時とは異なってきているように思います。
 
GP」とはそもそも「地域の人の病気を何でも()る医師。特に内科医」を言います。皆さんのご家庭はそんなお医者さんをお持ちでしょうか。どんな症状であれ、まずそのGPに診て貰い、その見立てで専門医なり何なりに行くのです。イギリスではこれが制度化されていてGPへの登録が義務付けられているそうですね。

 医療の専門化が進んだ現在は、初めから専門医に行くことが多くなって私たち自身にGP、家庭医の意識が薄くなりましたが、私は自分の体を全体的に知ってくれるという意味でGPというのは大切な存在ではないかと思います。自分の体をよく知ってくれている医師がいれば異変が生じた時の初期診断が適確になるに違いありません。

 私は同じように心にもGPが必要ではないかと思います。寺にいて伺う皆さまのお話は様々ですが、中でもよく聞くのは地域やサークルでの対人関係のこと、親子・夫婦の問題、病気等々、心に関係する問題です。これらは人間の宿命とも言うべきことながら、これが私たちの心を悩ます大きな原因であることを痛感するばかりです。

 人誰しも悩みのない人はありません。生きている以上、様々な問題、様々な悩みに遭遇せざるを得ません。その時、一人で悩むのではなくそれを誰かに話すことが出来ればそれだけで気持ちが楽になるかも知れません。ひょっとしたら、話すことによって解決のヒントを得ることができるかも知れません。

 私はその話し相手に寺がなりたいと思います。寺が「心のGP」になることを宣言したいと思います。私ができることは話を聴くことだけだと思います。でもそのことによって話して下さる方の気持ちが楽になり、そのことによって悩みを俯瞰する境地に至って下さったら嬉しいと思います。


  なやみは つきねんだなあ
  生きているんだもの
         ~相田みつを~

0 件のコメント:

コメントを投稿