また「己事究明」 №418

また「己事究明」
平成29年2月3日

 ボランティア仕事時代の友人Tさんが下さった賀状に「昨年満八十歳を迎えました。年相応に体力、気力、記憶力の衰えを自覚しています」とありました。数年前、このTさんが下さった賀状に「いよいよ私も後期高齢者の仲間入りです」と書かれてあったのを覚えていますが、それは今回も同様、「え、Tさんもうそんな?」という思いなのです。

 Tさんは多年、野鳥の会に所属して鳥のことは知らないことがなく、山作業の休憩中によく鳥の鳴き声を教えて頂きました。「ジュウイチ」を教えて貰った時は感銘でした。鳥の鳴き声を言葉で表すことを聴きなしと言いますが、確かにこのジュウイチの鳴き声は、ジュウイチと聞こえるのです。Tさんは身のこなしも軽く当時から年齢を全く感じさせないお方でした。

 いやまたのっけから何でこんな話かと申しますのは、私自身が今年数えで後期高齢者ということになって改めて過ぎし時を思い、自分はどれだけ己事究明、すなわち自分を知り得たのかと忸怩たる思いを拭いきれないからです。仏教の目指すところは己事究明だと思います。自己を究めるというのは、人間を究めることに他なりません。

 そのように考えると、私は人間の一生は己事究明に尽きると思います。上のTさんは野鳥の研究によって自分自身を探求され多くの人生の気づきを得られたに違いありません。何であれ他をよく知るということが自然の摂理、宇宙の真理に繋がっていくのでありましょう。それが結局自分を知ることになるのです。

 そのように考えた時、私はこれから先、残された時間の中でどのくらいそれに近づけるのかと思います。願うところは一つでも多くの気づきを得たいということです。そして、同じことを私はこの星祭に縁のある若い人たちにお願いして止みません。星祭はお札を頂いて終わりではありません。それからが始まりなのです。

 皆さん、星祭はお札を頂いて後、自分がその一年をどのように過ごすかという見張り役でもあるのです。自分という存在は一瞬一瞬にしかありません。その一瞬の積み重ねが年月になり、その人の人生になるのです。毎年の星祭はその一瞬の命を気づくためにある有難い機会なのです。


皆さま、今年も星祭有難うございます。
 どうぞ今年も天命成就にご精進下さい


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