部落差別を憎む №436

部落差別を憎む
平成29年6月17日

 皆さん、もし皆さんが「死ね」と書かれた差出人不明の年賀状を受け取ったらどう思いますか。まず怒り悲しまない人はいないでありましょう。そして、その「死ね」という言葉が差別と偏見に基づいているならば心を深く傷つけられることでありましょう。しかし、これは架空の話ではありません。事実あった話なのです。

 先日、部落差別問題について山口県人権啓発センターの方の講義を受ける機会がありました。上の年賀状の話はその折伺ったことです。部落差別が今なお存在することは私も承知していましたが、こんな非人道的な差別事件があったことに、そして恐らくは無知のまま差別を続ける人間がいることに怒りと悲しみを覚えてなりません。

 私は差別問題はすべての人が逃れることのできない問題だと思います。部落差別に限りません。私たちは自分自身が差別者になる危険を負っていると思います。であれば、私たちは常に差別に意識的であり自らが差別者にならないための努力をしなければなりません。その努力の第一は、差別問題を正しく理解することではないでしょうか。

 講義でまず指摘されたことは、部落差別に陥る三つの危険、「部落差別は過去のもの。差別はもうない」という勝手な思い込み、「そっとしておけば自然になくなる」という「寝た子を起こすな」論、「自分は差別しないから関係ない」という無知・無理解・無関心、でした。まずこの三つの危険を克服しなければ差別はなくならないと言われるのです。

 また、差別の今日的問題として指摘されたのはインターネットでした。いまネット上ではデマ・偏見の差別情報が蔓延し、差別が扇動的に公然化悪質化していると言います。昨年12月、「部落差別解消推進法」が成立したそうですが、この背景の一つにはネット上での差別の深刻化があると言います。これも悲しむべき現実だと思います。

 私たちは偏見と悪意に満ちた差別に苦しむ人がいる現実を直視し、部落差別さらにすべての差別のない社会を実現しなければなりません。繰り返して申し上げます。これは私たち一人ひとり、私とあなたの問題なのです。まずは差別に意識的であること。そして差別問題を正しく知り理解すること。共に努力いたしましょう。


    「部落差別は許されないものである」
         ~部落差別解消推進法・第一条~

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