一生勉強一生青春 №440

一生勉強一生青春
平成29年7月17日

 このたよりのネコちゃんの言葉に時折相田みつをさんの言葉が出て来ますね。平成3年、相田さんが67歳で亡くなってもう26年になります。しかし、相田さんが残された言葉とその書は今なお私たちの心の支えとして生き続けています。いや今の時代だからこそ一層、相田さんの言葉と書は私たちの胸に沁みてくるのではないでしょうか。

 先日、みつをさんのご長男、相田一人(かずひと)(相田みつを美術館長)さんの表題のご講演を聴く機会がありました。そのご講演で書物では知ることのなかったみつをさんの若い頃の体験を伺って、改めてみつをさんの言葉と書が生まれた原点を知る思いがしました。一人さんはみつをさんの言葉と書はご自身の体験から生まれたと言われるのです。

 その体験の第一は足利中学4年生の時、軍事教練の教官にいじめを受けたばかりか、その教官に喫煙という無実の罪を着せられて進学の夢を閉ざされたこと。第二は23歳の時、勤めていた生協の帳簿付けをしていて発見した使途不明金を追及したためにやくざに襲われ、以後数年入退院を繰り返すほどの重傷を負わされたこと、と言います。

 そして、さらに生涯思い続けたのが二人の兄の戦死だと言います。みつをさんには武雄、幸夫という二人の兄がいて、二人とも極めて学業優秀だったそうですが、家が貧しくて進学できず、家業の刺繍職人になった二人がみつをさんを中学に進ませてくれたのだそうです。その二人の兄は昭和16年、18年に戦死したと言います。

 受難とも言うべき自身の青春時代。そして、あんちゃんと呼んだ二人の兄の戦死がみつをさんには生涯の悲しみと苦しみだったのでありましょう。だからこそみつをさんの言葉が生まれ、その言葉を伝えるみつをさんの書が生まれたのでありましょう。改めてそのことを知って私は粛然たる思いを禁じ得ませんでした。

 みつをさんはご自分を書家とも詩人とも名乗ったことはないと言います。一人さんのお話を伺ってこう思いました。みつをさんは書を人生にしたのでもなく詩を人生にしたのでもない。自らの人生を人生にしたのだと。その人生の手段が詩であり書であったのだと。そして二人の兄を忘れることのなかった生涯。瞑目です。


    どんな 理屈をつけても 
    戦争は いやだな
    肉身二人 
     わたしは 戦争で失って いるから
               ~みつを~

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