命の歌 №443

命の歌
平成29年8月10日

木も草も 蝶蝉鳥も それぞれに 命の歌を うたってる

 この夏はまた昨年以上に厳しい暑さが続きますね。地球温暖化の影響か、夏の暑さが年々厳しさを増しているように思われてなりませんが、寄る年波で暑さに対する力が衰える一方の私には近頃の酷暑誠に耐え難いものがあります。

 そんな中先達て、炎天に晒された敷石を歩く小さな虫を見ました。恐らくはその敷石もかなり熱くなっていたと思います。しかし、虫は平然とその敷石を渡り切ってしまいました。人間にすれば焼けた鉄板の上を這いずるような行動ではないかと思いましたが、何故その虫は人間が身震いするようなことが出来るのか不思議でなりません。

 毎年この時期同じように思うのが炎天に飛ぶ蝶です。蝶がどうして炎天をものともしないのか不思議でなりませんが、ふと、いや蝶にとっても炎天下を飛ぶのは大変なことなのかも知れない、優雅に飛んでいるように見えても蝶は熱暑を堪えて飛んでいるのかも知れないと思ったのです。平然と見えた上の虫も同じであったかも知れません。

     天心残月皓皓光     有明の月空高く

     院庭微風清爽涼     庭吹く風も爽やかに

     万草千木静謐中     静まり返るものが皆

     一切万物露堂々     命の歌をうたってる

 上の詩は炎天ではなく明け方の爽やかな風の庭を詠みました。まだ月が皓皓と照る暁の物音ひとつしない静寂にあっても木や草は生きてあることを歌い続けているのではないかと思われたのです。この地に存在するものは皆、いついかなる時も、その存在を歌い続けているに違いないと思われたのです。

 木や草にとっても鳥や虫や蝶にとっても快適な時ばかりではないはず。当然、夏の炎天が苦しみになることもあると思いますが、その苦しみに絶叫するのも命の歌に違いありません。私たち人間が嬉しい時には笑い悲しい時には泣くのと同じように草木悉皆、快適にそよぎ苦しみに絶叫するのが命の歌なのだと思います。



   めくるめく 夏の日差しは 容赦なし 
     地にあるものを 討ち平らげぬ

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